植樹された塚が残されている。この周辺にも古墓が多い。
孔融は、死後ここに埋葬されたとされている。
基本情報
【訪問時期】2013年10月30日
【関連人物】孔融
【文物保護】1977年12月23日公布 山東省重点文物保護単位「臨淄墓群」
ちょこっと解説
 孔融、字は文挙。兖州魯国(現在の山東省曲阜市)の人。北海相、建安七子の一人、孔子第20代子孫。曹操との意見対立が多く、漢建安十三年(西暦208年)に処刑されている。
 孔融墓、範家村の北約500mのところに位置し、東西18m、南北13m、高さ12mの封土が残る。孔融は劉備によって青州刺史に推されたが、実際には着任していない。青州の治所は臨淄であったため、ここに埋葬されたとされる。
探訪後記
 孔融墓は、かなり以前からネット情報が出ていた。しかし臨淄には古墓が山ほどあり、どれがどれだかわからない。今回、やっと意を決して探してみることにする。情報は範家村の北側にあるということと、その墓の大きさだ。同じく近くにある馬良墓はその大きさから判別しやすいのだが、孔融墓と同じ大きさの墓はいくつもある。Google Earthを活用して、範家村の北側を念入りに見てみる。すると大きさの合致する墓のようなものが二つ並んでいた。このどちらかが孔融墓だろう。畑の中を歩いて、その場所にたどり着いた。どちらとも土盛りの上に植樹されている。一つは墓の周りにコンクリート製の杭が数本あり、保護されているようだ。ネットで見たかなり前の写真にもその杭が写っている。これに間違いないはずだ。確証を得るために近くの人民に聞いてみたいのだが、生憎誰もいない。しかし位置的にも大きさ的にもこれだと思うのだが。範家村の周辺は再開発が進められ、マンションがどんどんと建設されている。ずっとここに住んでいる人民を探すのが難しくなっていくのかもしれないな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山東省淄博市
【 タグ 】孔融
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年10月4日 19:05
【更新日時】2019年1月12日 20:28
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