肉丘墳とも呼ばれる、黄巾賊の墓地にある塚。
曹操が殲滅した黄巾賊の遺体が積み上がり、塚となったとされる。
塚には穴も開いていたが、古墓の封土などではなさそう。
基本情報
【訪問時期】2013年10月31日
【関連人物】黄巾賊
【文物保護】
ちょこっと解説
 黄巾塚、肉丘墳とも呼ばれている。言い伝えでは、黄巾起義が始まり、青州、徐州の黄巾軍30万はここで軍営を設けた。済海相鮑信は東郡太守曹操を迎え、この黄巾軍と戦い殲滅させる。曹操たちの軍は戦功を示すために黄巾軍の死体を山のように積み上げたとされる。また関羽によって打ちのめされたという言い伝えもあり、黄巾寨村周辺では関帝廟などの関公は祀られていないとされる。
探訪後記
 ネットで情報を見つけ、訪れてみることにした。濱州からバスに乗り、商店鎮で下車、そこから歩いていくことに。人民には「黄巾寨はどこ」と聞きながら進む。なんだか変な気分だな。しばらく歩いて黄巾寨村に到着。ほんとにこんな名前の村があるんだよな。そして村人に黄巾塚のことを聞くと、村の西側にあるとのこと。そこまで歩いていくとすぐに見つかった。しばらく写真を撮ったりして過ごしていると、また人民が来た。話しかけてきたので、いろいろ聞いてみる。人民は「ここ一帯は大きな墓地だったんだぞ」と見たかのように言う。まあ、どこまで本当かわからないのだが、火のないところに煙は立たないということで。荒唐無稽な話しでもないしね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山東省陽信県
【 タグ 】黄巾賊
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年10月26日 20:46
【更新日時】2019年1月12日 20:32
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