2005年の曹公台曹操像。
2005年、310国道のロータリー付近にあった看板。
官渡古戦場の記念壁は残っている。
今はなき官渡の古戦場芸術宮。
曹軍が使ったとされる漢井。今はない。
2008年の曹公台曹操像。
曹操が馬を繋いだとされる拴馬槐。
310国道のロータリーにある曹操騎馬像。
2015年末の曹公台曹操像、倒壊寸前。
基本情報
【訪問時期】2005年11月20日 / 2008年6月18日 / 2013年4月1日
2015年12月29日
【関連人物】曹操袁紹
【文物保護】
ちょこっと解説
 漢建安五年(西暦200年)、袁紹が10万と言われる軍勢を率いて南下、それを防ぐ曹操は2万の兵を以って官渡で相対する。曹操軍は袁紹軍の隙を突いて戦いに勝利、「寡兵よく大軍を破る」の典型となった。現在の中牟県官渡鎮官渡橋村には、曹操の本陣跡とされる曹公台、曹操が馬を繋いだとされる拴馬槐が残されている。付近には曹操が官渡水から水を引き、袁紹軍を水攻めにしたとされる場所、水潰村などの地名も残る。1993年5月に古戦場芸術宮などが建設され観光開発されたが、現在は建物も撤去されている。曹操軍が使用したとされる漢井も消滅。
探訪後記
 官渡古戦場、ここは以前からかなり有名な場所だった。三国遺跡巡りを始めてから、いつかは来ようと思っていた場所。鄭州から濃霧の中をバスに乗って移動。視界が真っ白なのによくぶつからずに走ってきたもんだよ。中牟に到着後、徒歩で官渡古戦場まで向かう。街中からはけっこう距離があったが、なんとか到着。でもだいぶん寂れているようだ。芸術宮はすでに固く門を閉ざしているし、観光客なんて一人もいない。近くの曹公台の曹操像へ行ってみる。う~ん、これがかの有名な曹操像か。すぐ近くには漢井もある。でも説明文の書かれた石碑は、すでに割れて上半分は行方不明。
 そして約3年経って、また訪れた。寂れ方にも輪がかかってきたようだ。曹公台の鉄柵もなくなっている。たぶん誰かが売り払ってしまったのだろう。台もボロボロになっているし、もう数年すると曹操像の存在も危うくなるかも。それでも国道のロータリーには新しい曹操像が出来ていたけれどな。ちょっとデザインがよくなくて、見る角度によってはかなりしょぼい。もう官渡古戦場も終焉を迎えるんだろう。でも官渡寺だけはどんどん綺麗になっていっているような。
 そして約5年経って、また訪れた。すでに完全なオワコン。ロータリーのガソリンスタンド横にあった官渡古戦場の武器付き看板はすでに消滅、曹公台はえぐられまくって、曹操像の後ろ側は絶壁状態、いつ像が倒れてもおかしくない状況。漢井も消滅、閉ざされた芸術宮も建物はすでになく、まともに残っているのは曹操が馬をつなげた木だけ。どうやら中牟はすでに官渡古戦場を捨てたとしか考えられない。強者どもが夢の跡。

関連遺址
官渡之戦遺址
官渡之戦遺址

[ 原阳 ]

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位置情報
【所在地】河南省中牟県官渡鎮官渡橋村
【行き方】中牟汽車站からはタクシーなどを利用した方がよい。党庄行きバスに乗れば官渡鎮の310国道ロータリー(新しい曹操像)までは行ける。ロータリーからは北へ約2km。鄭州から中牟へのバスは鄭州汽車東站(新東站)。開封から中牟へのバスは開封汽車西站。
投稿情報
【カテゴリ】河南省中牟県
【 タグ 】曹操袁紹
【公開範囲】在野 校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年6月23日 08:11
【更新日時】2019年1月13日 08:36
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