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灞陵橋。傍らの石碑には「漢関帝挑袍処」と刻まれている。
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風景区内に造られた灞陵橋。こちらはかなりアーチがきつい。
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曹操は、自身の元から去る関羽に別れを告げる。その場所が灞陵橋。
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復元された灞陵橋。これでも当時のものとは大分違うのだろう。
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曹操は関羽を灞陵橋まで追い、別れを告げる。
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関羽は曹操から餞別を送られるも、刀の先に引っ掛けて受け取る。
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ちょこっと解説
探訪後記
灞陵橋、関羽が曹操の元を離れるときに別れを告げた場所か。かなり広い公園になっている。橋の袂には頭でっかちでデッサンの狂った関羽像、そしてかなり評判の悪い作り直された灞陵橋。まあ、関羽像はいいとしても、この橋の形はないよな。遠くから見るとそうでもないのだが、実際に渡ってみるとけっこう勾配がきつい。誰だよこんなデザインにしたやつは。じゃ、元はどんな橋だったのと言う人もいるかもしれない。そこはご丁寧に以前の橋は公園内の別の場所で再現されているのだ。いやいや、そんなことするくらいなら、こっちで再現すればいいじゃん…。公園内には関帝廟も残っているし、公園入口の売店では許昌の遺跡本も買えるので一度は来ておいてもいい場所なんだけど。
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