文醜廟。小さな廟で外観は姿を留めるが、内部には何もない。
廟内には像もない。民国時代の石碑が1通残されているのみ。
廟内に保管されている、民国十四年(西暦1925年)「創修文醜廟碑記」の石碑。
基本情報
ちょこっと解説
探訪後記
遺跡捜索仲間である開封太郎さんと一緒に行ってみることにした。禹州に到着後、寨子賈行きのバスを探す。禹州にはいくつもバスターミナルがあるので、どこから出ているのか見当がつかない。近くにいた輪タクのおばちゃんに聞いてみると「一人一元」で連れていってくれると言う。ということはかなり近い場所から出ているようだ。開封太郎さんは「歩いて行きましょう」と言ったのだが、迷うと面倒なので輪タクに乗った。寨子賈はかなり辺鄙な場所にあるのだが直接行くバスがある。許昌周辺の街は「村村通」という方式で、かなり多くの村へバスで行けるようになっている。寨子賈に到着後、文醜廟のことを村人に聞く。バスを降りた場所からすぐ近くにあるらしい。さっそく行ってみる。小さいがちゃんとした廟だ。それでも文醜像などはないようだ。それにしても廟の中にはウ○コまで…。やっぱり中国だよな。それから村人に聞込みしながら文醜墓へ行ってみたが、もう真っ平らになってしまったそうだ。残念。それでもここは意外と簡単に訪れることができた。
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