司馬徽墓碑は、保管場所がないため地中に埋められていた。
民国十四年(西暦1925年)の石碑「漢司馬徽先生之墓」である。
基本情報
【訪問時期】2008年6月9日
【関連人物】司馬徽
【文物保護】
ちょこっと解説
探訪後記
 河南省では、心強い遺址捜索仲間の開封太郎さんがいる。私が許昌を訪れるにあたって、開封からわざわざやってきてくれたのだ。やはり一人で黙々と歩いて遺址を探すより、開封太郎さんと一緒の方が楽しい。禹州では、文醜廟と司馬徽墓碑を一緒に探すこととなった。文醜廟はあっさりとクリア。そして司馬徽墓碑を探すことに。
 だいたいの位置は事前の調べでわかっている。地図帳にも載っている村なので、あとはどのバスに乗ればいいかの問題だ。バスターミナル周辺で二人、一所懸命に聞き込みするが、いったいどのバスに乗ればいいかわからず。仕方ないので、途中まで行けるバスに乗り込み、そこから徒歩で向かうことにした。この辺りは、バス一本でけっこうどこでも行けるように「村村通」という施策があるので、きっとその村の近くまで行けるバスがあるはずなのだが。
 二人で道を聞きながら、なんとか墓碑のある余王村潘庄に到着。二人とも普通話は出来るのだが、方言の壁はなかなか厚い。人民に「あぁ」とか言われて撃退されることもあった。村で農作業をしているおっさんに「司馬徽墓の碑はどこにあるの」と聞いてみる。おっさんは「おぉ、そこにあるぞ」と藁の積まれたところを指さす。私と開封太郎さんで行ってみるが、どこにも見あたらない。おっさんは「碑は地面の下だ」と言う。続けて「見たいなら文物局で許可を貰わないとダメなんだ」と言い出す。周りには村人達が集まってきた。せっかくここまで来たのに見られないなんて。仮に文物局へ行ったとしても、そう易々と取り合ってくれることもないだろう。困った。そこで私の必殺技、ダダコネ拝み倒しを。「せっかく日本から来たんだし、なかなか来られないから、見せてよ」とか、村人の情に訴えかける作戦だ。村人の一人が「せっかくだから、見せてやれよ」と言い出した。やった。すると若い兄ちゃんが颯爽と鋤を持って登場。藁をどかす。鍬も登場して、地面を掘り始める。なかなか大変な作業だ。しばらくすると石碑が一枚現れた。これだ。
 司馬徽墓碑は、想像していたより大きな碑だった。私と開封太郎さんは大喜びで碑をくまなく見る。開封太郎さんは碑に刻まれている文字をさらにじっくり見ている。すると「ここに日本の早稲田って書いてありますよ」と開封太郎さんが言う。細かいところまで調べるのはさすがだ。二人で大満足。村人のおっちゃん達は、近くにあった司馬徽墓の話もしてくれた。村人はみな親切な人ばかりだった。「また来いよ」とおっちゃん。私は「また来たら、また碑を掘り出してくれるか」と聞いてみる。「おぉ、まかせとけ」との答え。村人のみなさん、本当にありがとう。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河南省禹州市
【 タグ 】司馬徽
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2019年6月2日 20:55
【更新日時】2019年6月2日 20:56