小蘭封村西北にある塚が、呂布の墓だと言われている。
塚の傍らには小さな祠が建てられている。
祠内部には小さな像も置かれているが、誰の像なのかは確認できなかった。
基本情報
【訪問時期】2008年6月29日
【関連人物】呂布
【文物保護】
ちょこっと解説
 呂布、字は奉先。并州五原郡九原県(現在の内蒙古自治区包頭市九原区麻池鎮)の人。并州刺史丁原のもと弓馬の技を学び、飛将と称される。後に丁原の命で呂布は、騎都尉として河内郡(現在の河南省焦作市)に駐留する。漢霊帝が崩御すると董卓が台頭、董卓は漢王朝の実権を奪おうとするが、丁原らが抵抗する。しかし董卓は高禄をもって呂布を引き込み、丁原は殺害される。その後、呂布と王允が共謀し、董卓を殺害。呂布は奮威将軍となり、温(現在の河南省温県)を封地とする。
 呂布塚、呂布は下邳(現在の江蘇省睢寧県)で曹操によって処刑されている。その遺体がどこに埋葬されたかはわかっていない。この塚も呂布の墓であるという確証はなく、呂布が河内に駐留していたことがあるということで、この地に葬られたのではないかという。現在も南北約18mほどの封土が残されている。
探訪後記
 呂布墓は、以前からあるあると言われてきたのだが、詳しい位置などがわからなかった。最近になって開封太郎さんが訪れたということで、行き方などを教えてくれた。ネットで調べてみると、村の名前などが載ったページが少し出てきた。ネット情報も以前と比べてかなり多くなってきているな。最近はかなり情報収集が楽になってきた感じがする。
 さてさて、開封太郎さんに教えて貰ったとおりに行ってみる。バスを降りて「小さな商店の前の道」ってのを探す。「商店、商店、そんな建物はないな」と思っていると、普通の民家らしき小屋に「商店」と書かれてあった。そして進んで行くと、なんなく到着。まぁ、開封太郎さんの情報がなければもっと苦労しただろう。近くで道路工事をしていた人民に聞いてみる。「呂布塚、なんでそんなものが見たいんだ」と言われる。「三国志が好きだから、見に来たんだよ」と答えると、人民おっさんは指を指して場所を教えてくれた。塚自体はそれほど高さもなく、長方形のような形になっている。まぁ、これが本当に呂布の墓かどうかは疑わしいのだが、地元では呂布の墓だとなっているのでよしとしよう。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河南省修武県
【 タグ 】呂布
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年4月18日 19:21
【更新日時】2019年1月13日 08:42
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