探訪後記
閣というイメージから、小高い山の上にでも建てられているのだろうと思っていたら、畑の中にあった。しかもすでにボロボロで、屋根も落ちている。でもなんとなくいい味をだしているな。中に入ってみるが、何もない。建物の前や横あたりには、石碑が立てられていたような跡もある。ただ徐庶を特定させるようなものは何もなかった。地元の人民たちは徐庶閣のことをちゃんと覚えているようで、40歳以上の人なら以前の状態だったかを知っているようだ。石碑を石橋の材料にしてしまい、石碑を運んだ人民が運んだ数日後に死んでしまったとか。まあ、どこまで本当かどうか分からないけれどもね。