固県鎮の外れに立つ魏延像。魏崗が魏延の故里らしい。
反逆者という感じで描かれるため、像もふてぶてしい感がある。
固県鎮の外れ、牌坊には魏延故里と刻まれている。
基本情報
ちょこっと解説
蜀漢前軍師征西大将軍南鄭侯、魏延、字は文長。荆州義陽郡(現在の河南省桐柏県固県鎮魏崗村)の人。建安十六年(西暦211年)、劉璋の求めに応じた劉備が漢中の張魯を攻めるときに、魏延は劉備のもとに参軍する。その後、劉備が蜀に入るときに数々の軍功を上げ、牙門将軍に任ぜられ、劉備の信任を得ている。劉備が漢中王となった後、軍事の重要拠点である漢中、その守護の任には誰もが張飛が就くと思っていたのだが、劉備は魏延を都督に任じ、鎮遠将軍漢中太守に封じた。その後、諸葛亮に随行して北伐に参戦、諸葛亮の没後は反目し合っていた楊儀らに謀反の容疑をかけられ、落ち延びる際に馬岱によって斬殺された。
魏延故里、当時義陽県だった固県鎮の魏家小河、魏崗村がその場所だったとされる。現在は街の入口に魏延像が建てられている。三国志には義陽人とだけ記載されており、固県鎮の東南約35kmにある信陽市溮河区五星街道三里店がその場所だとも言われている。
魏延故里、当時義陽県だった固県鎮の魏家小河、魏崗村がその場所だったとされる。現在は街の入口に魏延像が建てられている。三国志には義陽人とだけ記載されており、固県鎮の東南約35kmにある信陽市溮河区五星街道三里店がその場所だとも言われている。
探訪後記
ネットでいろいろ調べているうちに、見たことのない魏延像の画像を見つけた。でも説明も何もなく、いったいどこにある魏延像なのかがわからない。更に調べていくうちに桐柏県にある魏延故里にある像らしいことがわかった。ちょうど南陽へも行くことだし、唐河、桐柏と抜けて信陽まで行き、そこから列車で北上することにした。唐河に立ち寄ったあと、桐柏で一泊、翌日に魏延故里まで。魏延故里と書かれた牌坊の位置は、グーグルアースで確認できていたのだが、魏延像はどこにあるのかわからない。しかし、固県鎮の街に入るとすぐに車窓から見えた。すぐにバスを降りて向かう。ここの魏崗という場所が魏延の故郷ということらしい。魏崗村は街の東北にあって、像が立てられている場所から少し離れているのだが。まあ、ここも別の場所と魏延故里争奪戦を始めそうな感じ。「おらが街の~」奪い合いが多いよな。
位置情報
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