当時、張遼が兵卒たちを指揮して屯田を行っていた場所だとされる。
現在は、城の土塁の跡と思われるものが少し残るのみ。
基本情報
【訪問時期】2013年3月26日
【関連人物】張遼
【文物保護】
ちょこっと解説
 張遼城遺址、当時張遼が兵士を駐屯させ、屯田(軍屯)を行い、兵を訓練した場所とされる。面積は約2平方km。現在でも土で作られた城垣の跡が残っている。
探訪後記
 張遼城遺址は臨潁県窩城鎮にあるのだが、許昌からの方が行きやすい。というか、毓秀台など許昌県張潘鎮の遺跡から近いので、興味があればそれと一緒に見て回ればいい。わざわざ臨潁県から行く必要もないだろう。
 許昌からバスに乗って、盆李の小さな関帝廟の前で降ろしてもらう。その向かいの道を南下していけば着くだろう。途中の村々で人民に聞き込みしてみる。人民オッチャンクラスだとだいたい知っていた。軍張村を越えると左手にそれらしいモノが見えてきた。さっそく近くへ行って見てみるがいまいち確証が持てない。しばらくすると雨が降り出した。せっかく来たのだからと思い、すぐ近くの村、城后張村へ行って聞いてみることにした。そこらにいた人民オバチャンに「あそこの土盛り、張遼城遺址だよね。上に墓がいっぱいあるやつ」と聞いてみると、人民オバチャンは「そうよ、あれよ」と答えてくれた。これでちょっと確証が持てた。地元人民が言うなら大丈夫だろう。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
投稿情報
【カテゴリ】河南省臨潁県
【 タグ 】張遼
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年11月29日 20:35
【更新日時】2019年1月13日 08:50
Loadingいいね!193