官渡之戦で顔良が関羽に斬られ、その首を埋葬された場所とされる。
現在は石碑が立つのみで、その周囲には畑が広がる。
ちょこっと解説
顔良崗遺址、官渡の戦いの緒戦において、宋憲と魏続の二将を続けて失った曹操は動揺を隠せない。袁紹の将顔良を討つ術を求めると、程昱が「関羽を呼び寄せるしかない」と主張する。徐州で曹操に敗れた劉備は袁紹の元へ身を寄せ、関羽は曹操の元に降っている。関羽の所在を知った劉備は書をしたため、先鋒として戦う顔良に託した。顔良は書を受け取ったが、甲冑で身を固めているのでその書を甲の中に入れた。そして官渡の戦場にて関羽と出会う。顔良は劉備からの書を渡そうと関羽に話しかけるが、戦場の喧騒で関羽には聞こえない。そして関羽は一刀で顔良の首を落とす。すると顔良の甲の中から一通の書が落ちる。それを見た関羽は劉備の所在を知り、顔良を切ったことを後悔、後にこの場所に顔良の首級を埋葬し、祀ったとされる。そのため後にこの場所は顔良崗と呼ばれるようになった。
探訪後記
原陽馬頭村で官渡之戦に関する石碑が出土、中牟とこっちが本物の戦いを始めているようだ。ネットでいろいろ調べていると、出土した碑は馬頭村の近くにある五佛寺内に保管されている。そしてその近くに顔良崗遺址もあるとのことだった。五佛寺で石碑を見せて貰ったあと、顔良崗遺址のことについても聞いてみるのだが、「ここからは遠い。また今度にしたらどうだ。石碑があるだけだ。」と言って、なかなか場所を教えてくれない。でもそんなに遠いはずもないし、どうせ石碑だけだと思っていたので、なんとか方向だけを教えて貰って歩いていく。1kmくらい歩いたところで人民に聞いてみると、すぐに場所はわかった。畑の中に石碑がポツンと立っている。まあ、こんなもんだろうね。それでも石碑があるだけでもなかなかありがたい遺跡となるんだよな。
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