本来の郭嘉祠堂は破壊され、現在は仮の祠が建てられている。
まだ「郭嘉之神位」と書かれた布が掛けられているだけだった。
祠内部片隅に残された石碑。上部の「郭氏」部分だけが見て取れる。
基本情報
ちょこっと解説
郭嘉、字は奉孝。豫州潁川郡陽翟県(現在の河南省禹州市郭連郷)の人。禹県誌には、城西関外にあった九山禅寺碑に「郭嘉故里在城東郭連」と刻まれていたとの記載がある。郭連には、濂河が流れていることから、その昔は郭濂と記されていた。郭嘉の住まいは、この濂河沿いにあったとされる。清道光十五年(西暦1835年)に築寨されたおり、濂河は濠につなげられ引水に使われて涸れてしまう。その後、村には古い廟があったが関帝廟とされていた。現在はその廟もない。
現在は、廟があった場所のすぐ近くに小さな仮設の廟が設けられている。内部には「郭氏」と刻まれた石碑が保管されている。石碑の上部のみで、石碑下部と亀趺は行方不明。
現在は、廟があった場所のすぐ近くに小さな仮設の廟が設けられている。内部には「郭氏」と刻まれた石碑が保管されている。石碑の上部のみで、石碑下部と亀趺は行方不明。
探訪後記
郭嘉故里、以前に一度訪れたことはあったのだが、そのときには何も見つけることができずに撤退。今回は、一緒に三国志遺跡を巡ることになったMさんと訪れた。Mさんは郭嘉迷らしい。事前の調べで、現在は仮の廟が建てられているとのことだったので、まずはそれを目指すことに。まあ、道路沿いにあったのですぐに発見。村の人民たちは郭嘉廟の再建を目指しているらしいが、資金難のために進んでいないらしい。この小さな仮の廟、扉が閉まっている。入られないのかと思ったら、扉がスッと開いた。施錠されていないようだ。そして中に入る。郭嘉像はないのだが、壁には郭嘉神位と書かれた布が掛けられていた。その横には石碑が。これが郭嘉故里の石碑か。しかし、表面が壁側になって立てかけられているので見られない。必死になって動かす。石碑は上部しか残っておらず、そこには郭氏の二文字が。たぶん全体では四文字あったであろう石碑、これが郭嘉故里の石碑なのであろう。そしてMさんは、外で人民を捉まえてこの石碑の亀趺のことを聞いている。しかし人民の答えは「廟の前に置いておいたら、盗まれた」だった。以前は石碑がないと言われていたのだが、石碑が見つかったら、今度は亀が消えた。まったくなんでも盗んでいくなよ。日本にも郭嘉迷がいっぱいいて、ちゃんと残しておけば見に来るんだぞ。そしてそいつらを騙して金を出させれば、廟も再建できちゃうんだぞ。わかったか。
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