建設路脇に立てられている山陽故城の闕。漢献帝が山陽侯に貶され、余生を送った場所。
建設路から南へ延びる、山陽城の西城壁跡。
建設路北側に沿って延びる、山陽城の北城壁跡。
しっかり保護されている部分。城壁の版築跡が見て取れる。
文物碑: 2006年5月25日公布 全国重点文物保護単位「山陽故城」
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基本情報
【訪問時期】2013年11月8日
【関連人物】劉協
【文物保護】2006年5月25日公布 全国重点文物保護単位「山陽故城」
ちょこっと解説
 魏黄初元年(西暦220年)、魏の曹丕は漢献帝劉協を廃し、劉協を河内山陽邑万戸を以て山陽公に封ずる。劉協はここで14年間過ごし、死後は近くの古漢山に葬られた。
 山陽故城、現在は北城壁1850m、東城壁1350m、西城壁1000mが残っている。高さは4~6m、幅は14~35m。
探訪後記
 まずは墻南村あたりまで行って捜索。城壁跡はすぐにわかった。北側の城壁跡がずっと続いている。確か文物碑もあるはずなのだが、見あたらない。近くの人民オヤジに聞いてみると、ずっと東の方へ行けばあると言う。言われたとおり東へ進んでいくと、城の東北角にたどり着いた。確かにそれらしく整備されているのだが、文物碑が見あたらない。おかしいな。そこからちょっと南へ歩いて見た。東の城壁跡がしばらく続いていたが、どんどんと畑に変化していく。ここでもないようだ。歩いて街の方へ戻っていく。もう日が暮れて暗くなってきた。すると城の西北角にたどり着いた。ここに文物碑などがあった。なんだかんだ言ってよく歩いたよな。デジカメでフラッシュなし撮影ができるギリギリの明るさ。ここから南の方へも城壁跡が続いていた。北と西の城壁跡が良く残っている感じだ。まあ、知らなければ堤防とでも見えるのだが。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河南省焦作市
【 タグ 】劉協
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年4月15日 09:38
【更新日時】2019年1月13日 08:42
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