司馬氏祖先の墓と言われている。晋恵帝が謁した三陵だとのこと。
一説には司馬懿とその祖先の墓とも言われている。
また三基の墓があることから、司馬懿と司馬師、司馬昭の墓とも。
基本情報
ちょこっと解説
司馬氏祖塋、三基の墓が三角形状に並んでいる。東墓は直径20.6m、高さ3m。南墓は直径32m、高さ7.5m。北墓は直径25.7m、高さ6m。各墓の封土の保存状態はよく、風水によるその位置は宝地とされる。三基の墓が鳳の頭、村が鳳の体、村南の土堤が左の翼を表しており「鳳凰単展翅」と言われている。また晋書帝紀第四に記載されている、晋永興元年(西暦304年)八月に惠帝が謁した陵がこの三陵だとされる。言い伝えでは、司馬懿とその祖先の墓、または司馬氏祖先の墓、または司馬懿、司馬師、司馬昭三人の墓とも言われている。近年、三陵村周辺からは、北魏代の司馬景とその妻の墓誌、司馬元興墓誌、司馬悦墓誌なども発見されており、司馬氏の墓地であることは間違いないと思われる。
探訪後記
温県には、司馬懿故里にある司馬懿像だけなのかなと思っていたが、まだいろいろと残っていることがわかった。三陵村には司馬懿の祖先の墓が残っているとのことで、訪れてみることにした。三陵村は、正に三基の墓があることから付けられた名前だ。温県バスターミナルから6路のバスに乗り込んで番田へ向かう。車掌のオバチャンに「三陵まで行きたいんだけど、どこで降りればいい」と聞いてみる。しかし車掌のオバチャンはわからないらしい。地名などは河南話じゃないとダメなのか。普通話だと三は一声、陵は二声。でも河南話だと三は二声、陵は四声なのか。会話は通じるけれど、特定の単語だけだと通じないね。やっとオバチャンはわかったらしく「あゝ、三陵ね。終点まで乗ってなさい」と言ってくれた。そして、終点でおりると「あっちの方にちょっと歩いて行きなさい」と教えてくれた。番田からだと距離があったのだが、範庄路口が終点だったので、それほど歩かずにすんだ。村にはいると墓はすぐに見つかった。三基の墓が三角形に並んでいる。司馬懿の祖先の墓ということなのだが、人物は特定されていないのかな。
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