




潁川の名族陳氏と荀氏がここに集ったとされる。
ちょこっと解説
漢霊帝の時代、太史が「徳星聚奎,其五百里内有賢人焉。」と上奏した。すると霊帝は人を派遣して調べさせると、太丘長陳寔と荀淑が一族を率いて許の西湖にて集っていた。陳寔は高徳な人物で、その息子6人たちも名望で、長男陳紀と四男陳諶を合わせて「三君」と称した。荀淑も高潔な人物として知られ、その8人の息子は八龍と称した。その後、霊帝は西湖に徳星亭を建てるように命じたとされる。
探訪後記
許昌市内をフラフラしているときに、開封太郎さんからメッセージが来たのでついでに訪れてみた。まあ、陳寔と荀淑がメインなので後漢末かなとは思うのだが。まあ、陳紀とか荀彧の父親あたりも一緒のようだったので、いいかな。徳星亭自体は近年再建されたものだし、いかにもというコンクリート製なので味わいもクソもない。その前には陳寔と荀淑たちの像が並んでいる。写真を撮っていると、人民オネエチャンが興味を持ったらしく、説明文を読み始め、携帯で写真を撮りだした。でも陳寔と荀淑なんて知っているのかな。
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