民国九年「重修洗硯池碑記」の石碑が残されている。
洗硯池を示す石碑はいくつも立てられているが、すでに池ではなく、農地となっている。
せっかく文物保護碑もあるので、池として元に戻せないのだろうか。
文物碑: 2009年6月公布 許昌市級文物保護単位「鍾繇洗硯池」
基本情報
ちょこっと解説
楷書の祖と言われている鍾繇が、書法を鍛錬した場所とされる。池の水で硯を洗ったことから、その水は黒くなっていたとされる。鍾繇洗硯池には、民国時代に亭謝曲橋が建設されていた。県治の前、池の傍らには鍾繇台もあったとされるが、現在は残っていない。現在は文物碑の傍らに、民国九年「重修洗硯池碑記」の石碑が残されているのみ。
探訪後記
開封太郎さんから「文物碑があるらしいので、行ってみてくださいよ」と言われていた。ここもかなり前から存在がわかっていた場所だ。しかし、鍾繇が硯を洗ったという微妙な場所だったので、積極的には足が向かなかった。今回、許昌で時間もあったので、訪れてみる。池と言うからには水があるはずなので、まずはGoogle Earthで村の中で水のありそうなところを探す。位置や大きさなど、大体一致するところを見つけ、そこへピンポイントで突撃することにした。許昌汽車北站から村まで直接行けるバスが出ていたので、村までは楽々と到着。あとはGPSを使って進んでいく。池というか、貯水池っぽいところにたどり着いた。しかし、水はほとんどない。文物碑も見あたらない。う~ん、ここではないらしい。仕方ないので、人民を探して聞き込みをする。どうやらもうちょっと南へ行ったところにあるらしい。何度か聞いて、やっと到着。ネットで見た文物碑もあった。しかし、肝心の池、水がない。そればかりかゴミ溜めのようになっているではないか。保護のための文物碑は4つほどあるものの、意味がない。せっかくの場所がゴミ溜め、現代中国はやはりこの程度に成り下がってしまったのだ。
位置情報
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