五虎廟外観。大門などは近年に再建されたもの。
五虎廟主殿。「蜀漢群英」の扁額が掛けられている。以前は「五虎廟」だった。
五虎廟主殿内部。中央はもちろん関羽である。
関羽像。
張飛像。
馬超像。
趙雲像。
黄忠像。
基本情報
【訪問時期】2013年11月17日
【関連人物】関羽張飛趙雲馬超黄忠
【文物保護】
ちょこっと解説
 言い伝えでは、官渡之戦が集結後、負傷した兵士たちが行き場を失い、付近で匪賊となり略奪などを行うようになった。それを伝え聞いた劉備は、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠の五虎上将を派遣し、匪賊を退治したとされる。村人たちは桃園結義の関羽、張飛や長坂坡の趙雲の故事を知っているだけで、その姿を見たことはない。しかし、このときその姿を見て、そして匪賊を追い払ったことに、大変喜んだ。その後、村人たちは五虎上将を記念するために五虎廟を建立したとされる。実際には、この言い伝えの内容は時間軸がかなり前後左右している。
探訪後記
 ネットでまた五虎廟の情報を発見した。新密市曲梁鎮、また中途半端な場所にあるな。鄭州から行くのがいいのか、許昌から行くのがいいのか。バスはあるのだろうけど、どうやって行こうか。困ったときには他人頼み。三国志遺跡捜索の友、開封太郎さんがいるではないか。ちょうど拠点を許昌に移したそうなので、捜索依頼をかけてみた。そしてしばらくの後、到達情報が伝えられた。ちゃんと存在していること、バスは鄭州、許昌のどちらからでもよいこと、一番心配だった開放されている日。これらのはっきりとした情報がもたらされたのだ。やはり頼りになる男、開封太郎さんだ。それ以外にも関平像はぶっ壊れていますよとか、廟会がある日は人民が渦巻いてますよとか。実際に訪れないとわからない生の情報だ。そしておらも行ってみる。もちろん楽々到達。開放されている日は農暦初一と十五、おなじみのパターンなので、その日を狙った。おらが行った日には廟会が開かれていなかったので人民も少なめだったが、やはりお参りに来ている人民はちらほらと見られた。廟の中にいた人民じいさんに挨拶をして、見学させて貰う。関平像だけは無惨な姿となっていたが、それ以外の像はなかなかいいのではないか。以前は五虎廟という扁額が掲げられていたようなのだが、外されて放置。代わりに蜀漢群英という扁額が掲げられていた。まあ、この分なら今後もちゃんと残されていくはず。地元人民に愛され続ける廟であって欲しいものだ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河南省新密市
【 タグ 】関羽張飛趙雲馬超黄忠
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年12月18日 20:23
【更新日時】2017年12月18日 20:51
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