劉備が蔡瑁の迫害から逃れるため、馬で飛び越えた渓谷跡。
現在は渓流もなく、当時の面影はない。
文物碑: 1983年3月30日公布 襄樊市重点文物保護単位「馬躍檀渓遺址」
基本情報
ちょこっと解説
三国演義、第三十四回「蔡夫人隔屏听密語、劉皇叔馬過檀渓」で劉備が的盧に乗って飛び越えた檀渓の場所とされる。劉備が劉表から跡継ぎの相談を受けたときに、劉表は劉琦ではなく劉琮を跡継ぎにしたいとの意を表す。しかし、劉備はそれに反対する。すると陰でそれを聴いていた劉琮の母である蔡夫人は劉備を恨み、弟の蔡瑁に命じて劉備を亡き者にしようと企む。そして蔡瑁が宴席を設け劉備を招くが、伊籍が蔡瑁の企みを劉備に伝えると、劉備は的盧に乗って襄陽城から逃げ出す。そして劉備は的盧ごと檀渓に落ちてしまうが、劉備が「的盧」と叫ぶと、的盧は水中から跳ね上がり、三丈上の岸まで飛んだとされる。
探訪後記
全体的に見るとそれなりに見られるのだが、細部を見るとなんだかなとなってしまう。溝になっている場所にはゴミが山ほど捨ててあるしなあ。とりあえず劉備が的盧に乗って、檀渓を飛んで着地した側じゃないかと思うのだが。的盧の蹄跡もあるらしいが、あてにならないよな。まあ、劉表の本拠地でそういうことがあったってことで。
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