三国演義では有名な場面。華佗が関羽に荒治療を施す。
実際には華佗ではない。そして関羽の負傷した腕も逆。
基本情報
【訪問時期】2005年11月4日
【関連人物】華佗関羽
【文物保護】
ちょこっと解説
 三国演義、第七十五回「関雲長刮骨療毒、呂子明白衣渡江」の中で、関羽が樊城を攻撃中、曹仁が放った箭を右腕に受け負傷する。傷が悪化したところに華佗が訪れ、治療することとなった。関羽と馬良が碁を打つ間に、華佗が刃物で関羽の骨を削る荒治療を行うと、瞬く間に快方したとされる。
 実際には、関羽が箭に当たり負傷したのは左腕。治療した医生は誰だかもわかっていないが、骨を削って治療したことは間違いないようだ。
探訪後記
 大きな病院の中庭にあるのだが、関係のない施設内にあるというだけで、中に入っていくのが億劫になる。まあ、結果として何も言われなかったし、ちゃんと見ることはできたのだけれども。学校内にあるときなどは事前の交渉でかなり労力を使うこともある。さてと、華佗が関羽を治療したとされる場所なのだが、実際には華佗が関羽を治療したことはなく、三国演義の創作だ。さらに像を見ればわかるが治療している腕も逆だという。まあ、別にいいんだけどね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖北省荆州市
【 タグ 】華佗関羽
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月25日 22:53
【更新日時】2019年1月13日 09:11
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