劉封が孟達とともに宜都太守を任じたときに建設したとされる。 劉封城遺址の説明書き。 基本情報 【訪問時期】2005年11月1日 【関連人物】劉封 孟達 【文物保護】– ちょこっと解説 漢建安十九年(西暦214年)頃、劉封は孟達とともに宜都(現在の湖北省宜昌市)太守を任じる。そのときに築かれたのが劉封城とされ、清代の「宜昌府誌」などにも記載がある。漢建安二十四年(西暦219年)に孟達は魏に降っているので、この場所は劉封の名だけが残ることとなったようだ。 探訪後記 三游洞を訪れる。目的は張飛擂鼓台だったのだが、せっかく来たのでぐるっと見て回っていると、劉封城遺址の説明書きを見つけた。周辺には石垣のようなところも残っており、確かに城跡だったような感じだ。まあ、説明書きがなければまったく気づかなかったのだろうけど。 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】湖北省 宜昌市【 タグ 】劉封 孟達【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相【掲載日時】2016年9月18日 22:09【更新日時】2019年1月13日 09:03 いいね! 323