長江沿いに立つ張飛の像。
鼓の傍ら、勇ましい姿の張飛像。
「漢張飛擂鼓台」と刻まれた石柱が立つ。
張飛擂鼓台の説明書き。
ここから上流が三峡。
基本情報
ちょこっと解説
劉備が江南を平定した後、張飛を征虜将軍新亭侯に封じ、宜都太守に任ずる。言い伝えでは、その時期に張飛がこの場所に擂鼓台を造り、劉備の軍勢が滞りなく三峡を遡り益州を攻略できるようにするため、休む間もなく鼓を叩いて兵を督し、演習を行った。時には張飛自らも鼓を叩き、将兵を激励したとされる。また擂鼓台は「鎖江石」とも称され、張飛が鉄鎖を張り巡らして蜀へ向かう舟を止めていたとされる。
探訪後記
三峡を下って来ると、宜昌港に到着する前に張飛像が見える。三峡下りの終着点として宜昌で下船する人は多いはずだ。でもさっさと武漢などへ移動してしまう人が多いらしい。宜昌周辺には当陽もあり、三国遺址がかなりおおく残っているからだ。かく言う私も2001年に三峡下りをしたときには、船で武漢まで行ってしまったのだが。
擂鼓台と言っても今は張飛像が建てられているだけ。それでも出来のいい像なので格好いいし、場所が場所なので写真映えもする。行き方も簡単なので、張飛迷は行っておくべき処か。
擂鼓台と言っても今は張飛像が建てられているだけ。それでも出来のいい像なので格好いいし、場所が場所なので写真映えもする。行き方も簡単なので、張飛迷は行っておくべき処か。
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