当時は沮漳河にかかる橋の傍らだった。 現在は「張翼徳横矛処」の石碑が立てられているのみ。 基本情報 【訪問時期】2005年11月2日 【関連人物】張飛 【文物保護】– ちょこっと解説 三国演義、第四十二回「張翼德大鬧長坂坡、劉豫州敗走漢津口」の舞台となった場所。漢建安十三年(西暦208年)、長坂坡での戦い。阿斗を救った趙雲が劉備の元へ戻ろうとするが、曹軍の追撃を受ける。途中、沮漳河にかかる当陽橋で張飛が殿を務め、曹軍と相対する。張飛は蛇矛を携え、雷のような大声で叫ぶと、曹操は驚き馬を止め、夏侯傑はあまりの驚きに死んだ。現在は清雍正九年(西暦1731年)に立てられた「張翼徳横矛処」の石碑が残されている。 探訪後記 当時はこのあたりに沮漳河の流れがあったらしいが、今となっては河の流れはない。ここで張飛が大暴れしたのだとか。石碑は亭子の中に立てられており、その中では人民おっさんが寛いでいた。まったくもって平和な場所となっている。当陽橋とか長坂橋とも呼ばれているのだが、ここの村名は灞陵橋らしい。なんだか紛らわしいな。 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】湖北省 当陽市【 タグ 】張飛【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相【掲載日時】2016年10月18日 19:07【更新日時】2019年1月13日 09:05 いいね! 323