呉王城遺址、武昌における孫権の居城跡。
文物碑: 1992年12月16日公布 湖北省文物保護単位「呉王城遺址」
残っている城壁跡はそれほど高さがない。呉王城遺址と刻まれた石。
基本情報
【訪問時期】2010年8月7日
【関連人物】孫権
【文物保護】2013年5月3日公布 全国重点文物保護単位「呉王城遺址」
ちょこっと解説
 呉王城遺址は三国呉の都城。建安二十六年(西暦221年)、孫権は公安から鄂へ移る。そして魏文帝曹丕から呉王に封ぜられ、同年に呉王城の建設を開始する。孫権は「以武而昌」から鄂県を武昌と改名する。
 黄武八年(西暦229年)に孫権はここで皇帝を称するが、同年孫権は建鄴(現在の江蘇省南京市)に遷都、陸遜を派して太子孫登を補佐させ武昌を守らせる。呉王城遺址は北を長江に接し、東西1000m、南北500mの長方形。現在は城壁の南部分が60mほど残っている。
探訪後記
 鳳凰台を見終わった後、市バスで近くまで移動する。鄂州の街はそれほど大きくないので、歩いても行けるくらいの距離なのだが、暑いのでできるだけ楽な方法で移動することにした。近くまで来ると、すぐに場所がわかった。街中の古城路両脇に不自然な土盛りが残っているからだ。写真で見たことがある文物碑を探してみる。あった、駐車場の片隅にポツンと。思っていたより小さいな。「三国志」歴史紀行という書籍に載っていた写真とは違うけれども。あれはもっと前の写真なんだろうな。しばらく城壁跡に沿って歩いてみると、また大きな石に呉王城遺址と刻んだものがあった。まぁ、これならきちんと保存されていくのだろう。でももうただの緑地帯のようになっちゃっているけどね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖北省鄂州市
【 タグ 】孫権
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年3月15日 19:43
【更新日時】2019年1月13日 09:09
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