言伝えでは荆州を守る関羽が翼城として建設したとされる。
清代に立てられた「関聖帝偃月城故址」の石碑が残る。
城壁の跡らしき土盛りが続く。実際には宋代の遺構だとか。
基本情報
【訪問時期】2013年3月17日
【関連人物】関羽
【文物保護】
ちょこっと解説
 偃月城、もとは剣潭城と称される。伝説では関羽が荆州に駐留したときに築かれた翼城とされ、偃月のような形状からそのなが付けられたとされる。城垣の上には清代「関聖帝偃月城故址」の石碑が残されている。付近にはもう一通石碑があったが消滅。清乾隆年間「江陵県誌」にも記載があるが、城址から出土したものは全て宋代のものである。
 民間伝承では、当時関羽が青龍偃月刀を携え、この辺りの瓦子湖まで来た。その湖畔では一人の農夫が鍬を握りしめて田の畦を作っていた。関羽は「畦を作るのにもこんなに苦労する。もし城を築くなら何年も必要だな」と言う。農民は「そうです、鍬一つでは井戸を掘られない、同じく一夜で城を気づくこともできないと言うでしょう」と答えた。関羽は「本当にそうか」と言う。すると農民は「関将軍、あなたの能力を信じないわけではないが、もしあなたが一夜にして城を築くことができたのなら、私の家の財産を投げ打ってでもあなたにご馳走して、お祝いしますよ。あなたは賭が好きでしょう。九仙女はあなたに負けましたが、今回私はあなたに負けませんよ」と答える。すると関羽は賭癖が出て「それなら明日の朝鶏が鳴く前までに、四方各長さ四十八里の城を築き上げよう」と言ってしまう。
 そしてその夜、関羽は青龍偃月刀を振るって城を築き始める。近くでは若い女性が箕のを振るっていた。そのガサガサという音が聞こえた関羽は、鶏が鳴く前に羽をバサバサさせる音と思い、間もなく夜明けだと勘違いしてしまう。城はまだ半分も出来ていない。関羽はあの農民に会わせる顔がなく、帰ってしまう。家まで戻った関羽は悶々としていると、やっと鶏の鳴き声が聞こえ、自分が勘違いしたことを知る。すると九仙女と荆州城を築く賭をしたときの状況を思い出す。当時、関羽は同じ手で九仙女を勘違いさせていたのだった。そして関羽の築いた半分の城は偃月のような形をしているので、人々は偃月城と呼ぶようになったとされる。
探訪後記
 ここもずっと気になっていた場所なんだよな。前回、荆州を訪れてからもう8年近く経ったのか。やっとまた荆州に来たよ。習口まで行くバスを待つのだが、なかなか来ない。全然来ないよ。もう走ってないのかよ。1時間くらい待ったかな、やっと来たよ。それも他のバスよりボロいのが。そして習口に到着、ここからは歩きだな。人民に聞いて方向は分かったから、そっちに向かって歩き出す。事前の調べではそれほど歩かなくてもいいはずだ。2kmくらい歩いたかなと思ったら、T字路に偃月村の看板が見えた。その先にはお目当ての偃月城遺址が。城跡としてはそれほど大きくない。近づいてみると土盛りの上に石碑を発見。ちゃんと「関聖帝偃月城」って書いてある。しばらく見ていると、地元人民が近づいてきたのでちょっと話をする。人民曰く「石碑は二つあったんだけどな、この道路を造ったときに大きな石碑はなくなっちゃったんだよ」と。また道路工事で石が足りなかったから使ったとか、そんな感じかよ。まあ、地元人民でもたまによく知っている人に出会うので、そういう人民から話を聞けるのは嬉しいよね。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖北省荆州市
【 タグ 】関羽
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月4日 03:20
【更新日時】2019年1月13日 09:12
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