もとは点軍坡上にあったが、こちらに移された。
清光緒十一年(西暦1885年)に立てられた点軍碑。
文物碑: 2003年9月29日公布 宜昌市文物保護単位「点軍碑」
基本情報
ちょこっと解説
漢建安十九年(西暦214年)、諸葛亮は蜀攻略のために張飛、趙雲とともに巴東へ進撃する。関羽は荆州の守備をまかされ、この場所で関羽が兵馬を閲したとされる。
点軍碑、清光緒十一年(西暦1885年)に宜昌総鎮羅縉紳が立てたもの。現在でも「漢寿亭侯点兵処」の文字がはっきり見て取れる。もとは点軍坡上に立てられていた。
点軍碑、清光緒十一年(西暦1885年)に宜昌総鎮羅縉紳が立てたもの。現在でも「漢寿亭侯点兵処」の文字がはっきり見て取れる。もとは点軍坡上に立てられていた。
探訪後記
今回、湖北省を回る前に開封太郎さんから掲示板で情報を貰っていた。この場所は知らない場所だったし、ネットで調べてみると古い石碑が残っているとのことだったので訪れてみた。近くまで市バスで行き、さっそく聞き込み開始。ネット情報では山上にあるとのこと。そうなら地元民に聞いてから行動した方がよいな。暑いので飲み物を買うために商店に入る。そしてついでに聞いてみると、「すぐそこにあるだろう」という答え。あらら、バスを降りたすぐ向かい側にあったじゃない。実は、もとは山の上にあったのだが、今は道路脇に移設してきたとのことだ。まあ、点軍区の地名の由来にもなったものなので、管理のし易い場所へ移したと言うことなのだろうか。そういえば数年前、この碑に落書きされたという報道を見つけた。まあ、最近よく話題になっている行動なのだが。ちなみにこの碑の裏面には大きな虎という文字が刻まれている。どこかで見たなと思ったら、先日行った黄陵廟内の碑林に複製品が置かれていたよ。
位置情報
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