龐徳公が薬草から薬を作っていた場所とされる。
洞穴の中には龐徳公の像が置かれていた。
鹿門寺から少し離れた場所にある。訪れる人は多くなさそうだ。
基本情報
ちょこっと解説
龐徳公は襄陽出身、東漢末年の大名士。劉表がその名声を聞いて幾度出仕を促すも、断られている。龐徳公は鹿門山(旧名は蘇嶺山)で妻と共に隠居生活し、薬草を採取して過ごしていた。龐公制薬洞は、その薬草を素に製薬していた場所とされる。
探訪後記
ここは龐公采藥棲身洞とも呼ばれ、かなり前からあるあると言われていた場所である。襄陽には何度か訪れているものの、交通の便があまりよくない鹿門寺まで行くのが面倒くさくて、ここへは訪れていなかった。今回、意を決して行ってみることにする。襄州客運站からバスが出ているということだ。バスターミナルに到着、中には東津行きのバスが停まっているものの、鹿門寺行きは見あたらない。係員に聞いてみると、東津行きに乗れと言う。どうやら鹿門寺行きは不定期便なので、待っていてもバスが来ない可能性があるようだ。おらと同じように北京人の夫婦がバスに乗ってきた。彼らも鹿門寺へ行きたいらしい。しつこいくらい「このバスは鹿門寺まで行くのか」と聞いていた。バスは出発、しばらくして東津に到着。ここから乗り合いタクシーにでも乗られればいいのだが。どうしようかなと考えていると、先の北京人夫婦が運転手と交渉していた。渡りに舟なので「おらも行くんだけど、一緒に乗っていいかな」と聞いてみる。料金は定額人数割りだったので、人数が多ければ一人頭の金額が安くなる。さらにこの車に乗れば、鹿門山風景区の門票を買わなくてすむとのこと。まずはこれで鹿門寺まで行ってみて、帰りはそのときに考えよう。そして鹿門寺に到着。おらはお目当ての場所を見るだけでいいので北京人夫婦とは別れて行動する。
さて、見るものは見たし戻ろうか。鹿門寺の前には車がいなかったので、駐車場との交差点まで歩く。そこで乗られそうな車が来ないか待ってみる。たまに車が通るのだが、どれも乗せてくれそうにないなあ。バスはあるのかないのか分からないし。するとやっと一台の面的が通りかかったので、それに乗って東津まで戻ることにした。待ち続けていても戻るのが遅くなるだけだからね。
さて、見るものは見たし戻ろうか。鹿門寺の前には車がいなかったので、駐車場との交差点まで歩く。そこで乗られそうな車が来ないか待ってみる。たまに車が通るのだが、どれも乗せてくれそうにないなあ。バスはあるのかないのか分からないし。するとやっと一台の面的が通りかかったので、それに乗って東津まで戻ることにした。待ち続けていても戻るのが遅くなるだけだからね。
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