2010年に立てられた墓碑。魯粛の孫夫人、程夫人、曹夫人の墓。
2018年に訪れたときには、墓碑が立て替えられていた。
近くには魯粛の孫、魯崇義の墓もある。
魯粛の子孫が居住しているということで、魯粛故里を名乗っている。
周辺の村にも、同じく魯粛の末裔たちが居住している。
基本情報
【訪問時期】2014年12月31日 / 2018年1月5日
【関連人物】魯粛
【文物保護】
ちょこっと解説
 魯粛三夫人墓、三人の魯粛夫人である孫氏、程氏、曹氏の合葬墓とされる。本来の墓碑は文革で破壊され、現在の墓碑は2010年に立てられたもの。
 魯粛には七人の息子がおり、その第四子魯乾貞は山野での隠居生活を好んだ。孫権と劉備の争いから逃れるため、生母曹氏、継母程氏、三母孫氏および妻の趙氏と息子二人を引き連れ、呉建興二年(西暦253年)に臨淮から咸寧へ移り住む。しかし、人が密集した土地であったため、呉五鳳元年(西暦254年)にこの場所へ移り住んだ。そして呉太平年間に三夫人は相次いで逝去、この土地で葬られたとされる。
探訪後記
 嘉魚へ行くことを開封太郎さんに伝えると、「魯粛夫人墓へは行かないんですか」とメッセージが来た。その位置などは、以前ネットで調べてあったのだが、ちょっと行きにくい場所かなと思い、予定には入れていなかった。でも嘉魚のバスターミナルに入るとき、渡普行きのバスが出てきたので、「あ、近くまでは行けそうだ」と思い、バスターミナルに入る。すると渡普行きのバスは頻繁に発車しているので、行ってみることにした。渡普に到着後、バイタクのオヤジたちに聞き込み。でも詳しいことはわからなかった。すると「もうちょっと南の方へ行くと、その辺りから来ているバイタクがいるから、わかるかもよ。」と言われた。南の方にいたバイタクオヤジに聞いてみると、確かに魯姓が多い集落がたくさんあるとのこと。そのままバイタクに乗って、連れて行ってもらう。道端の商店の前に停まると、オヤジが「あの人は魯さんだから、聞いてみるといい。」と言う。そして教えてもらった通りに魯家墻へ行くと、地元人民が魯粛の孫の墓へ案内してくれた。更に聞いてみると、魯粛夫人墓へも案内してくれるそうだ。そして民家の裏へ入っていき、雑木雑草が茂った場所に墓があった。これだと写真が撮りにくい。雑木を除けようとするが刺があって触ると痛い。清明節前なら人民が除草してきれいになっているかもしれないなあ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖北省嘉魚県
【 タグ 】魯粛
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年11月24日 19:08
【更新日時】2019年1月13日 09:16
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