曹操廟。もとはもう少し離れた場所に建てられていたとか。
廟入口上部には「曹操聖廟」と書かれていた。
外壁には曹操廟の説明文が掛けられている。
軒下に小さな像だけが置かれている。魏武帝曹孟徳之聖位。
曹操像。なんとなくそれっぽくは見える。
基本情報
ちょこっと解説
漢川赤壁説では、ここが曹操の本陣があった烏林だとされている。曹操が80万の大軍を率いこの地を通過しようとした。しかし、その前面には河が流れており進むことができない。曹操は全軍に命令し、その河を埋めて堤防のようにしたとされる。その後、天門と漢川を結ぶ道は交通の便がよくなったとされる。そして明代になり垌塚街が建設され始めると、人々は曹操を記念して天門と漢川の境に曹操廟を建立したとされる。民国初期には倒壊してしまうが、近年地元民によって元の場所のすぐ近くに再建された。
探訪後記
曹操廟と呼ばれる廟はいくつかあるようだが、やはり三国演義の影響で悪人にされた曹操、その廟はやはり大事にはされていなかったようだ。この曹操廟は近年再建されたもので、曹操聖廟となっているものの本殿の中には仏様だけ。曹操像に至っては、なんと軒下に置かれている始末。まあ、廟が再建されただけでもありがたいのかな。
位置情報
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