富池には古い方の甘寧墓も残されている。
以前、破壊されたようで、石碑などは割れてしまっている。
甘寧墓復修記。甘寧がここで亡くなったとも書かれている。
基本情報
【訪問時期】2015年9月21日
【関連人物】甘寧
【文物保護】
ちょこっと解説
 甘寧、字は興覇。益州巴郡臨江県(現在の重慶市忠県)の人。呉の大将、折衝将軍西陵太守。陽新、下雉の2県を領する。蜀軍との戦いで、ここ富池の抜箭港で矢にあたり戦死したとされ、富池東南の軍山北麓に葬られた。この墓は明嘉靖元年(西暦1522年)に造られ、清雍正七年(西暦1729年)に拡張され、石獅や石馬、六柱坊などが設けられていた。その後文革によって破壊され、1995年になって甘寧公園内に新しく墓が造成されている。
探訪後記
 富池には二つの甘寧墓が残っているという情報を貰った。新しい方の墓は有名になっていて、訪れている人も多いのだが、古い方の墓の情報はなかった。ネットで検索してみると、とある中国人が「富池有二座甘寧墓」という記事を書いていた。読んでみるとだいたいの場所は書かれているのだが、広い工場敷地内の具体的な場所がいまいちよくわからなかった。
 とりあえず富池に行き、工業園へ行く。やはり敷地内へ入るには警備員と交渉しないとダメなようだ。最初は取り合ってもらえず「甘寧墓は公園の方にあるだろう」と言われるだけだった。しつこく「こっちに古い方があるだろう」と粘ると、やっと案内してもらえることに。実はもう少し向こう側にある門の方から入ったほうが近いそうだ。警備員が工員をつかまえてくれ、その工員に連れられて甘寧墓に到着。するとまた違う警備員が来て「おまえか、日本人は」と説教をたれてきた。まあ、いつものごとく日本人には一言いいたいだけで、特に何もされることはなかったんだけれどもね。どうして遺跡はこんな面倒な場所にあることが多いのだろうか。
関連遺址
甘寧墓(新)
甘寧墓(新)

[ 阳新 ]
甘寧墓
甘寧墓

[ 重庆 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖北省陽新県
【 タグ 】甘寧
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年11月5日 12:16
【更新日時】2017年10月27日 20:34
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