岳陽魯粛墓前面。清光緒十五年の墓碑には「呉魯公粛墓」とある。
文物碑: 1983年10月10日公布 湖南省省級文物保護単位「魯粛墓」
魯粛墓の入口。今では開かずの扉と化している。
基本情報
【訪問時期】2005年11月7日 / 2008年10月16日
【関連人物】魯粛
【文物保護】文物碑: 1983年10月10日公布 湖南省省級文物保護単位「魯粛墓」
ちょこっと解説
 魯粛、字は子敬。臨淮郡東城県(現在の安徽省定遠県永康鎮)の人。地方の豪族、裕福な家庭に育つ。後に居巣の周瑜と共に孫策の元へ。孫策の死後、孫権に重用され数々の功績を挙げる。漢建安二十二年(西暦217年)に病死。
 岳陽魯粛墓、衣冠塚と思われる。周瑜の死後、代って魯粛が巴丘(現在の湖南省岳陽市)で水軍都督として総括、訓練を重ねる。墓からほど近い岳陽楼は魯粛の点将台があった場所とされる。墓前には清光緒十五年(西暦1889年)巴陵知県周主徳が立てた「呉魯公粛墓」の墓碑が残されている。現在の墓は1984年に修復されたもの。
探訪後記
 岳陽の魯粛墓、ここも昔から有名な三国志遺跡なのだが、場所が悪い。交通の便はよいのだが、人民解放軍のゴム製品工場敷地内にあったのだ。2000年代にはもう解放軍の経営ではなくなっていたようだが3517厰として残っていた。やはり軍の施設だったところに入るのは怖いもの。恐る恐る中へ入って行くが、特に咎められることもなく無事に魯粛墓に到着。中には人民が住んでいるようだったが、見せてもらうことができた。その後、洞庭北路に案内看板ができたりと、観光地化が進むのかと思われたが、ずっと門が閉まったまま。中にはまだ人民が住んでいるようなのだが、人影がないことが多いようだ。今後はどうなっていくのだろう。
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位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖南省岳陽市
【 タグ 】魯粛
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月24日 17:12
【更新日時】2019年1月12日 22:04
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