岳陽周瑜墓前面。
石碑には「呉大都督周公瑜之墓」と刻まれている。
雑草が少ないときには塚の部分も見られる。
基本情報
【訪問時期】2005年11月7日 / 2008年10月16日 / 2013年11月22日
【関連人物】周瑜
【文物保護】
ちょこっと解説
 周瑜、字は公瑾。揚州廬江郡舒県(現在の安徽省舒城県)の人。偏将軍南郡太守。漢建安十三年(西暦208年)、赤壁において曹操軍を破るが、漢建安十五年(西暦210年)に巴丘(現在の湖南省岳陽市)で病没する。
 周瑜墓、金鶚山麓花墳坡に位置する。周瑜は巴丘で病没しているが、故郷である廬江郡舒県で埋葬されたとされる。しかし、その後に岳陽でも墓が造成されたとされ、1958年まではそのほとんどが残っていた。1958年のダム建設時には「水軍都督周瑜之墓」の墓碑が出土したが、ダム湖内に沈められたままとなっている。その後、墓を囲む石材などは流用され、1992年までには塚の土も平らげられた。現在の墓は再建されたもの。
探訪後記
 ここも探すのに苦労した遺跡。金鶚公園内には案内看板にも描かれているし、案内標識もある。しかし、案内標識通りに行くも見あたらず。いったいどうなっているんだ。公園内の売店にいたおっちゃんに聞いてみると「ちょうどあの方向にあるんだ。ここから崖を下っていくといい」と言われ、行ってみるがやはり見あたらない。次の街へ行くバスの出発時刻も近づいているので、かなり焦ってきた。「ええい、もうここしかない」と草むらへ入り込むと、墓らしきモノを発見。けっこう大きな墓碑も立てられていた。やっと見つけたぞ。しかし周瑜墓なのだが、同じ街にある魯粛墓の方が立派だ。いや、小喬墓にも劣る扱い…。美周郎も本当に報われないな。
 ちなみに二回目は真っ暗闇の中、到達。一度来ているので迷うことはなかったが、暗すぎて写真も撮れず。でも墓は特に変化がなかったようだ。しかし公園内の案内標識からは周瑜墓が消されていた。このまま消滅してしまう運命なのだろうか。
関連遺址
周瑜墓
周瑜墓

[ 庐江 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖南省岳陽市
【 タグ 】周瑜
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月23日 07:08
【更新日時】2019年1月12日 19:39
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