黄蓋寺前面。
黄蓋寺黄蓋殿の入口。
黄蓋殿内部。大きな黄蓋像がある。
若い黄蓋像になっている。
基本情報
【訪問時期】2014年12月30日
【関連人物】黄蓋
【文物保護】
ちょこっと解説
 黄蓋寺、もとは飛拍庵とも呼ばれ、その創建は東漢末年に遡るとされる。霊帝在位中に黄巾之乱が勃発、その首領である張角が太平道を利用して、朝廷に対し民のためにと宗教の発揚を求め、飛拍庵も献帝在位時に建立されたとされる。
 漢建安十二年(西暦207年)頃、呉の武将である黄蓋がこの場所で駐屯し、水軍の訓練などを行う。そして白雲姑娘と出会い、恋に落ちたとされる。その後、婚姻を結び、しばらくは二人で暮らしていたが、黄蓋は再び戦地へ赴くためにこの場所を離れた。黄蓋を待ち続けた白雲姑娘だったが、黄蓋は戻らず、30歳のときに出家し、飛拍庵で尼となり、法号は虚白。それから31年の時が過ぎ、白雲は61歳で圓寂。飛拍庵の上空には白雲が広がり、金色に輝きながらその中へ消えていったとされる。そして飛拍庵は虚白庵と呼ばれるようになり、民の間では黄蓋廟と称されるようになったという伝承が残る。
 黄蓋寺は清嘉慶十七年(西暦1810年)から数年をかけて修復されたが、清末期には荒廃する。そして2005年になり再建が始まり、黄蓋殿などが建設され、その殿内には黄蓋像が祭られている。
探訪後記
 黄蓋寺、中国ネットで見つけた情報なのだが、黄蓋を祭った寺とは珍しい。詳しい位置はわからないので、いつもの通り近くまでバスで行き、あとは聞き込みをしながら歩くことにする。バスを降りてから、何人かの人民に聞いて、進んでいく。もう近くまで来たなと思ったのだが、まだ寺らしき建物は見えない。道路脇に商店があったので、そこで再度聞いてみた。人民たちは麻雀をして遊んでいる。そして聞いてみると、その麻雀をしている人民の中に黄蓋寺の住職がいた。住職、何やってんだよ。まあ、住職が「ああ、寺はあっちだよ。人がいるから、連絡しておく」と言ってくれた。そして寺に到着。出家したオバチャンらしき人がいた。挨拶をすると「ああ、あなたね。住職が電話してきたわ。安徽省から来たんでしょう」と言う。誰が安徽省から来たんや。そんなこと一言も言ってへんわ。まあ、おらの地域不明な普通話がそう聞こえたのかもしれん。そしてこのオバチャンの解説が始まった。「以前は黄蓋廟が二つあったのよ。でも日本軍に壊されちゃって」などなど。「はいはい、日本軍ですね。わたしゃ日本人ですよ」と心中で叫びながらも、言葉には出さなかったのですよ。どうせわたしゃ謎の安徽人ですから。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖南省臨湘市
【 タグ 】黄蓋
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月29日 06:58
【更新日時】2019年1月12日 22:08
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