関羽瀬には関羽像が立っている。
関羽像近景。
増水時、瀬に渡るには舟に乗る。
基本情報
【訪問時期】2015年5月5日
【関連人物】関羽
【文物保護】
ちょこっと解説
 孫権が呂蒙に荊州南部を取り戻すよう命じ、魯粛は益陽で関羽を牽制する。関羽は兵三万の中から精鋭五千を選び、上流から攻め込もうと試みるが、呉の甘寧が兵一千をもって守りについていることを知る。関羽は河を渡らずに兵を止め駐留したとされ、関羽瀬と呼ばれるようになった。そして魯粛に招かれ、赴く前にここで青龍刀を磨いたことから青龍洲とも呼ばれる。
探訪後記
 益陽に着いて、関羽像のことを調べていると、単刀赴会処以外にも関羽像があるという情報を見つけた。さらに調べてみると街の西側にある青龍洲にあるようだ。時間もあるので、さっそく行ってみることにする。資水の畔に出て、青龍洲が見えるところまで来たのだが、渡ることができるような場所がなかった。小さな舟はたくさんあるのだが、なかなか人が見つからない。しばらく待っていると人民兄ちゃんがやってきて、青龍洲へ向かって「媽!媽!」と叫びだした。青龍洲に住んでいるオカンを呼んでいるようだ。しばらく待っていると、そのオカンが舟に乗ってやってきた。正に渡りに舟なので、声をかけて乗せてもらった。片道2元。まあ、青龍洲にはよく人が来るようで、こうやって人を渡して小銭を稼いでいるようだ。さっそく関羽像の方へ行ってみる。けっこう前に立てられたようだ。この関羽像、外見は若く見る。残念ながら青龍刀の部分は壊れてしまっている。まあ、これ以外に見るものは何もない長閑な島なのだ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖南省益陽市
【 タグ 】関羽
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月2日 20:32
【更新日時】2019年1月12日 22:09
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