宝積山山上の武侯祠碑。
「重修諸葛武侯祠碑記」の文字は見づらくなっている。
孔明台とも呼ばれていた古炮台遺址の傍らに石碑がある。
基本情報
ちょこっと解説
宝積山武侯祠碑は、清康熙五十一年(西暦1712年)、広西提刑按察使司按察使の王用霖が宝積山武侯祠を再建、そのときに立てられた「重修諸葛武侯祠碑記」の石碑である。
宝積山武侯祠は、明洪武年間に広西都指揮使の耿良によって創建されたとされる。当時、宝積山は孔明台と称されていた。
宝積山武侯祠は、明洪武年間に広西都指揮使の耿良によって創建されたとされる。当時、宝積山は孔明台と称されていた。
探訪後記
中国ネットで宝積山武侯祠の情報を見つけた。さらに調べてみたが、すでに存在していないようだった。しかし、石碑が一通残されているようだったので、訪れてみることにした。広西まで来ると、孔明とはあまり関係のない地になってしまうのだが、後世になって孔明を慕う人物が武侯祠を建てるということはある。まあ、だいたいは修復が続かずに消えてなくなってしまうのだが、石碑だけは残っていることが多いような。宝積山はそれほど高くないし、お目当ての石碑もすぐに見つかる。そして山上からは桂林周辺に広がる独特な景色も楽しめた。桂林には、以前何度か訪れているものの、まさか武侯祠が存在していたことがあるとは知らなかった。桂林からほど近い、霊川県にも武侯祠があったらしいな。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
いいね! 291