劉備の夫人である甘氏の墓。この遺址も三峡ダム建設の影響で消滅。
石碑には「漢昭烈甘皇后墓」と刻まれていた。
基本情報
【訪問時期】2005年10月31日
【関連人物】甘夫人
【文物保護】
ちょこっと解説
 甘夫人墓、劉備の夫人である甘氏の墓。甘皇后は、皇思夫人と諡され、南郡(現在の湖北省公安県)に葬られていたが、亡骸を蜀へ移されることになっていた。しかし、劉備の死により、永安宮にほど近い場所で、劉備と合葬されることとなる。盗掘を防ぐために、甘夫人の墓だと言われ、合葬墓であることは隠されたと言われている。
 清光緒年間の「奉節県誌」にも記載があり、墓碑には「漢昭烈甘皇后之墓」の八文字が刻まれていた。もともとはかなり大きな封土があったが、文革で消失。夔州賓館内に六角亭が設けられ、その前に「漢昭烈甘皇后墓」の七文字が刻まれた石碑が置かれていた。三峡ダム建設の影響により、長江に沈んだ。移設されたかは不明。
探訪後記
 奉節老城も三峡ダムの影響で沈んでしまう場所だ。私が訪れたときにはもう解体もだいぶん進み、長江畔に近い方はすでに瓦礫しかない状態だった。奉節新城から白帝城へ行く途中に奉節老城のすぐ近くを通るのだが、すでにこんな状態なので行くかどうか迷っていた。白帝城から戻る途中、やっぱりちょっと寄ってみることにする。永安宮旧址はもう別の場所に移設されているのはわかっていた。しかし、甘夫人墓はどうだろうと思ったからだ。フラフラ歩いていると、なんとか夔州賓館らしい建物が見えてきた。もう看板も何にもないのでそれかどうかはわからないのだが、中を覗いていると亭子がある。もしかしてと思ったので、とにかく行ってみる。あった、まだ残っていた。夔州賓館ももう解体準備中で工事の兄ちゃんたちがいるのみ。兄ちゃんたちも「なんだ、まだこんなものを調査しに来たのか」と物珍しそうに言うだけだった。甘夫人墓もどこかへ移設するのかと聞いてみたが、まだわからないそうだ。「この下って、大きな洞窟で劉備の墓かもしれないんでしょう」とも聞いてみるが、「何言っているんだおまえ、そんなものないよ」と笑われた。ネットではけっこう大きく扱われている感じのニュースだったのだが、地元の人は知らないのかな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】重慶市奉節県
【 タグ 】甘夫人
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年2月12日 21:19
【更新日時】2019年1月12日 22:17
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