探訪後記
もともとは奉節老城にあったのだが、三峡ダムの影響で長江の底に沈んでしまうので移設された。ネットのニュースでは「すでに移転は終わり、新しい建物に像なども安置された」と書かれていたのだが、行ってみれば建物は出来ていたものの、像などは全くなし。割れた石碑が2枚建てられているだけだった。まぁ、いずれはちゃんと完成するのだろうが、報道のいい加減さには呆れてしまう。移転したばかりなので、知っている人民も少なかった。近くの道を行ったり来たり。坂道が多いのでかなり疲れた。実際には、劉備が諸葛亮に後を託した場所は白帝城ではなく永安宮だった。その場所も川底に沈んでしまうのだな。まぁ、移設されたとは言え、残されるのはありがたいことか。ちなみに魚腹八陣図遺址は移設できるはずもなく、永遠に沈んでしまう。