以前は、奉節師範学校内にあった。三峡ダムの建設で水没するために移転された。
建物の前には、割れた「永安宮故址」の石碑2通が立てられていた。
基本情報
【訪問時期】2005年10月31日
【関連人物】劉備諸葛亮劉理劉永
【文物保護】
ちょこっと解説
探訪後記
 もともとは奉節老城にあったのだが、三峡ダムの影響で長江の底に沈んでしまうので移設された。ネットのニュースでは「すでに移転は終わり、新しい建物に像なども安置された」と書かれていたのだが、行ってみれば建物は出来ていたものの、像などは全くなし。割れた石碑が2枚建てられているだけだった。まぁ、いずれはちゃんと完成するのだろうが、報道のいい加減さには呆れてしまう。移転したばかりなので、知っている人民も少なかった。近くの道を行ったり来たり。坂道が多いのでかなり疲れた。実際には、劉備が諸葛亮に後を託した場所は白帝城ではなく永安宮だった。その場所も川底に沈んでしまうのだな。まぁ、移設されたとは言え、残されるのはありがたいことか。ちなみに魚腹八陣図遺址は移設できるはずもなく、永遠に沈んでしまう。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】重慶市奉節県
【 タグ 】劉備諸葛亮劉理劉永
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年2月12日 22:28
【更新日時】2019年1月12日 22:18
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