南征時、馬忠率いる部隊が牂柯郡へ進む途中、兵営を設けた場所とされる。
洞窟内に置かれた孔明像。左側には姜維碑があった。
姜維碑と呼ばれている漢建安年間の厳季男碑の複製品。博物館内に収められている。
孔明洞の入り口。なぜか中共の宣伝も。
岩肌につけられた孔明洞の文字。
ちょこっと解説
蜀建興三年(西暦225年)、諸葛亮率いる蜀軍は南征を開始、越巂郡(現在の四川省西昌市)の高定を討伐する諸葛亮が率いる本隊、牂柯郡(現在の貴州省安順市寧谷鎮)を討伐する馬忠が率いる東路軍が進軍する。現在の打通鎮あたりを進む馬忠は、双獅山の隘路にて当地の住民らの阻害を受けて立ち往生する。馬忠は仕方なく兵営を設けて、突破の機会を待つ。そして牛角を吹き鳴らし進軍、阻害を続けていた住民たちを打ち破る。馬忠軍は捕虜となった住民たちを解き放ち、地元の土司には武器なども残して同盟を結ぶ。当地の住民らは感激し、忠誠を誓ったとされる。馬忠は南征出発前に諸葛亮から諭された軍律を守り、無駄な殺戮を行わなかった。後に住民たちは馬忠が兵営を設けた双獅山の山洞を孔明洞として諸葛亮を祀ったとされる。現在も諸葛亮、姜維、馬忠の像が置かれている。また漢碑姜維碑と言われている石刻が残されていたが、重慶府督学張之洞によって成都国学院へ移され、現在は成都博物館に収蔵されている。その内容などから本当の漢碑であるかは結論がでていない。
探訪後記
重慶から列車で向かうことにする。実はこの区間、高速道路を走るバスの方が速い。でも列車でのんびり行くことにした。まずは打通鎮に近い赶水へ向かった。小さな火車站なのだが停車する列車は少なくない。赶水ではバスの乗り換えにちょっと手間取ったが、打通のバスターミナルまでたどり着いた。バスターミナルで吹角行きの乗り合い面的を見つけたので、それに乗り込む。運転手のおっさんに孔明洞のことを聞いてみると、村からもそんなには遠くないとのこと。安心して吹角へ向かう。そこからは徒歩。1kmくらい歩いただろうか。人民に聞き込みをすれば皆知っている。そして到着。しかし、これまた扉に施錠。また入るのに苦労することとなった。扉にいくつか電話番号が書かれていたので、いくつかかけてみたのだが通じない。待っていても誰も来ないんだろうな。むう、こうなれば最終手段しかない。中には青い衣服を纏った孔明像が。なかなかかっこいい。しかし近くには毛ハゲなどの五人組の像も。はあ。まあ、ここまでたどり着いたのだからいいか。
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