小さな封土から墓室の入口が露出している。
文革で破壊され、盗掘にも遭っている。中には何も残っていない。
基本情報
【訪問時期】2003年11月15日 / 2008年9月14日
【関連人物】張松
【文物保護】
ちょこっと解説
 張松、字は永年。益州蜀郡繁県豊楽場(現在の彭州市桂花鎮豊楽場)の生まれ。益州王劉璋のもと、別駕を務める。劉璋の腐敗無能を嘆き、劉備へ蜀を取るように進言。後、劉璋に殺害される。
 張松が劉璋に殺害された後、双松村の人々が張松を記念するために松塔寺を建立。寺の正殿には手に地図を携えた張松の塑像があった。しかし、文革中に全て破壊されている。張松墓は、木の覆い茂る林の中に位置している。墓は盗掘され、すでに荒れているが、墓穴の石にはまだ彫刻の跡が残る。
探訪後記
 現在のところ、張松墓は墓穴が残るのみで、それを示すものが何もない。場所が場所だけに村人に連れて行って貰わなければ到達するのは難しい。また関口は通称で、以前は九隴鎮と呼んでいたが、最近、丹景山鎮と改名された。バスなどの行き先では関口と言っている。丹景山の地図に張松墓の位置が載っているが、丹景山から行くと必ず道に迷うので、関口から素直にバイタクなどで双松村へ向かった方がよい。私は丹景山で二度迷い、三度目の正直で双松村に到達。農家のおばちゃんに頼んで張松墓まで案内してもらった。
 五年ぶり二度目、以前の記憶と方向感だけを頼りに徒歩で向かう。何とか迷わずに関口から双松村へたどり着くことができた。道は前よりもよくなっているような感じだ。村へ着いたはいいが、やはり張松墓がどこにあるのかがわからない。墓だらけの藪の中は、トゲのある植物が密生しているし、ヤブ蚊も多いので、痛いわ、痒いわで大変。結局、村人の兄ちゃんに張松墓まで連れて行って貰った。近いのだが、意外とわからない場所にあるんだな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】四川省彭州市
【 タグ 】張松
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年2月27日 19:06
【更新日時】2019年1月13日 14:27
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