姜維が兵を駐屯させていた場所と言われている。
また、蒋琬や諸葛瞻もこの場所で兵を駐屯させていたとされる。
基本情報
【訪問時期】2005年7月22日 / 2009年6月15日
【関連人物】蒋琬姜維諸葛瞻
【文物保護】
ちょこっと解説
 諸葛亮亡き後、蒋琬は蜀の国力の回復に努める。そして諸葛亮の北伐政策を研究、代わりに漢水、沔水を下って魏興、上庸を攻める方策を考える。しかし、費禕の言は「攻めるに易く、退くに難あり」であった。そのため蒋琬は涪県(現在の四川省綿陽市)に留まって営盤嘴にて駐軍、雍州凉州で北伐を続ける姜維の後ろ盾となった。だが蒋琬、費禕と相次いで亡くなると、姜維もこの場所で駐軍している。
 蜀景耀六年(西暦263年)魏の鄧艾が蜀へ侵攻、諸葛瞻がここ営盤嘴で駐軍し、先遣隊が鄧艾と交戦を試みるが敗退、綿竹まで退いて決戦となっている。
探訪後記
 西山公園内だが、少し中心から離れた場所にあるので、なかなか見つけられなかった。ぽつんと営盤嘴と刻まれた石碑が1つあるだけで、由来を知らなければ何がなんだかわからないような場所である。しかし、蒋琬や姜維、諸葛瞻たちがここで軍を駐留していたというのだから、一度は訪れてみたい場所であった。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】四川省綿陽市
【 タグ 】蒋琬姜維諸葛瞻
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年2月26日 18:20
【更新日時】2018年2月26日 21:00
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