「漢駙馬都尉諸葛喬墓」は近年再建されたもの。
喬はもと諸葛瑾の次男で、当時子がなかった孔明の養子となった。
重修諸葛喬墓碑記も立てられている。
基本情報
ちょこっと解説
蜀漢駙馬都尉。諸葛喬、字は仲慎。後に伯松と改めた。諸葛瑾の次男。諸葛瑾の命により、諸葛亮の養子となる。将来を嘱望された人物だったが、建興六年(西暦228年)に漢中で若くして病没。
言い伝えでは、諸葛喬も北伐に参加したが兵糧運送に失敗、庶民に貶められ臥龍山西山麓に居を構えたとされ、病没後、ここに葬られた。近年、諸葛喬墓が再建され「漢駙馬都尉諸葛喬墓」の碑も建てられた。
言い伝えでは、諸葛喬も北伐に参加したが兵糧運送に失敗、庶民に貶められ臥龍山西山麓に居を構えたとされ、病没後、ここに葬られた。近年、諸葛喬墓が再建され「漢駙馬都尉諸葛喬墓」の碑も建てられた。
探訪後記
はっきり言って、こんな墓があるとはまったく知らなかった。発見はまったくの偶然。孔明泉で管理人のじいさまに「諸葛寨はどこにあるの、ほら石門があるでしょう」と聞いたが、じいさまは普通話があまり通じないようで、連れて行かれたのがこの墓。このじいさまがいなければ、完全に素通りしていただろう。もともと諸葛喬なんて知らなかったし。墓を見つけてから調べて知った人物。でもネットを調べてみると、けっこうこの名前が出てくるんだよね。恐るべきかな三国志マニア。
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