文物碑が立っていた場所。この手前側に厳顔墓と厳公廟があった。
文物碑:1980年11月5日公布 達県地区重点文物保護単位「厳顔墓」
基本情報
【訪問時期】2005年10月24日 / 2011年2月3日
【関連人物】厳顔
【文物保護】1980年11月5日公布 達県地区重点文物保護単位「厳顔墓」
ちょこっと解説
 厳顔、益州巴郡臨江県(現在の重慶市忠県)の人。益州王劉璋のもと、巴郡太守を務める。東漢献帝建安十九年(西暦214年)に劉璋が劉備へ投降、益州を失う。厳顔はそれを知ると、自ら首を刎ね劉璋に殉じたとされる。巴中厳顔墓は四川通志に「漢将軍厳顔墓,在城西門外,旧有廟在墓后」と記載があり、清道光九年(西暦1829年)に知州陸成本が墓前に廟を建立している。厳公廟は文革で破壊され、墓、廟ともに残っていない。厳顔が巴郡太守だったことから、この墓は衣冠墓だったと思われる。現在は1980年に巴中県(現在の巴中市)人民政府が立てた重要文物保護単位の石碑だけが残る。
探訪後記
 巴中の厳顔墓の情報をネットで見つけたのはいつだったのだろう。中国語のページで「将軍賓館の横に文物碑だけが残る」と書かれてあった。墓はすでにない、しかし文物碑があるということは、それだけで行くに値することなのだ。 暑い7月、巴中へ到着。「将軍賓館ってホテルがあるんだろう。すぐに見つかるさ」と極めて甘い考えで捜索開始。それらしい場所を行ったり来たりするが見つからない。道行く人に聞いても全く手がかりが掴めない。脳裏をよぎるのは「ガセか。すでに消滅済みなのか」と。暑い最中をこれ以上動き回る気力もなく、撤退を余儀なくされた。
 秋らしくなってきた10月、諦めきれずに再び巴中へ。「今回は必ず」と意気込む。今回のキーワードは草壩街。ところがどこを探しても将軍賓館なんてない。「もうダメなのか」再び脳裏をよぎる。こうなったら中国で一番役に立たない公安に聞くしかない。交通整理をしている警官に「将軍賓館ってどこだよ」と聞く。答えは「あっちだ」のみ。実は草壩街はまだ西の方へ続いているのだ。とうとう将軍賓館を発見。旅館なみの規模だ。おい。「厳顔墓はどこだ~」と聞くが、「そんなものはない」との答え。「もういい、自分で探す」と横の工事現場へ突入。便所の壁にそれらしき碑が。ひっくり返してみると、厳顔墓の文物碑。「あったど~」と歓喜したのは言うまでもない。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
投稿情報
【カテゴリ】四川省巴中市
【 タグ 】厳顔
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2020年5月8日 19:17
【更新日時】2020年5月8日 19:21