平陽亭侯李福の墓道に立てられていた漢闕。
「漢平陽府君叔神道」の文字が刻まれ、人物や車馬などの図案も残る。
文物碑: 1961年3月4日公布 全国重点文物保護単位「呂布廟旧址」
基本情報
ちょこっと解説
李福、字は孫徳。益州広漢郡涪県(現在の四川省綿陽市)の人。劉璋の元に出仕し、建安二十年(西暦215年)に劉備が益州を乗っ取ると巴西太守、江州督、楊威将軍などを歴任する。劉禅の代になると諸葛亮から重用され、尚書僕射に任ぜられ、平陽亭侯に封ぜられる。建興十二年(西暦234年)、五丈原で危篤に陥った諸葛亮を見舞い、遺命を受けている。延熙元年(西暦238年)、大将軍蒋琬とともに漢中へ出征するが、まもなく死去している。
漢平陽府君闕、平陽亭侯李福の墓の神道に立てられていた。「四川通誌」には「漢平陽府君叔神道」の八文字が刻まれているとあるが、現在は「漢平」の二文字だけしか残っていない。初平、興平年間に立てられたものとされ、上部には人物、車馬、狩猟など、下部には力士などの図案が刻まれている。
漢平陽府君闕、平陽亭侯李福の墓の神道に立てられていた。「四川通誌」には「漢平陽府君叔神道」の八文字が刻まれているとあるが、現在は「漢平」の二文字だけしか残っていない。初平、興平年間に立てられたものとされ、上部には人物、車馬、狩猟など、下部には力士などの図案が刻まれている。
探訪後記
一番最初に綿陽を訪れたときに探しに行った覚えがあるが、そのときは工事中で漢闕がどこにあるのかわからなかった。たぶんどこかに移動保管されていたのだろう。そのときは三国志の人物に関係があるものとは知らなかった。その後、また綿陽を訪れる機会があったので見に行った。ここの漢闕はけっこう立派で保存状態もかなりいい感じだ。李福というあまりよくわからない人物の墓のものだということだ。超有名な人物の漢闕は残っていないようだけれども、こういったちょっとマイナーな人物だと残っているっていうのも中国の不思議なところなんだよな。科技館前は踊ったり、ボールで遊んだりしている人民がいるので、そのうち破壊行為が行われないことを祈ろう。
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