孔明が南征時に兵士たちを訓練させた場所とされる。
大きな岩山は、孔明の点将台とされ、現在は清光緒年間の石碑が立つ。
基本情報
ちょこっと解説
諸葛亮が南征を開始。南下する途中に戎州(現在の宜賓市)で南蛮軍の抵抗を受け、蜀軍は兵営を張り駐屯を始める。諸葛亮は、馬の毛を赤や白に染めさせた騎兵隊を駆けめぐらせ、夜は松明を焚いて南蛮軍を威嚇した。そしてこの場所で八陣図兵法の鍛錬を行ったとされる。点将台とも呼ばれるこの場所は巨大な石山で、諸葛亮が当時指揮を執った場所である。清光緒辛丑十月(清光緒二十七年、西暦1901年)、知叙州府文煥によって立てられた碑には「嗚呼此乃、蜀丞相諸葛武侯推演兵法処也」と刻まれている。
探訪後記
前回、宜賓へ来たときに丞相祠は訪れたのだが、そのすぐ裏にあった武侯推演兵法処にはまったく気づかなかった。公園の案内地図には点将台と書かれてあるので、ちゃんと地図を見ていれば訪れていたのだろう。こんなに立派な石碑が残っているのに。もうちょっと余裕を持って行動しないとダメだな。公園内は人民でいっぱいだったが、ここへ登ってくる人民はいても孔明にはあまり興味がないようだ。宜賓は孔明と関係ないと思われているのかも知れない。しかし、孔明の南征時に岷江に沿って南下して、ここ宜賓も通過していたんだよな。宜賓へは、孟獲故里と言われている曲靖から列車で来たのだが、あんな大変なところをよく通って行ったもんだ。
位置情報
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