古瓦口関。ここが張飛と張郃が戦った場所だと言われている。
復元された古瓦口関の関楼。
関楼に祭られた張飛の像。
右内殿。ちょっと不気味な劉関張の像が並ぶ。
左内殿。左から王連(梓潼県令)、諸葛亮、張翼(梓潼郡太守)の像が並ぶ。
張飛の馬が脚を滑らせたとされる趟脚石。跡がくっきり残っているが…。
今もなお残る、金牛古道の一部分。
ちょこっと解説
三国演義、第七十回「猛張飛智取瓦口隘、老黄忠計奪天蕩山」の中でも記載されている。巴西を守る張飛を魏の張郃が攻め入る。戦いが始まるが膠着状態に陥って、張飛は酒盛りをして張郃を挑発する。成都の諸葛亮から張飛の元へ新たに酒が送られると、張郃は張飛が完全に油断していると思いこみ攻撃を再開するが、張飛の策にまんまとはめられて敗退し瓦口関まで逃げ込む。瓦口関は要害で張飛も攻めあぐんだが、近くを通る農民に関の裏へ通じる道を聞くと、魏延が正面から攻め込み、張飛は裏から回り込んで瓦口関を攻め落とす。張郃は命からがら落ち延びた。
古瓦口関は梓潼県城の北約5kmの五婦嶺に位置し、古金牛道の南端にある。現在は関楼が復元され張飛像が置かれている。また関楼下の右内殿には劉備、関羽、張飛の像が、左内殿には諸葛亮、張翼(梓潼郡太守)、王連(梓潼県令)の像が祀られている。関前には趟脚石があり、張飛の乗っていた馬がここで前脚を滑らせたために張郃が助かったとされる。
古瓦口関は梓潼県城の北約5kmの五婦嶺に位置し、古金牛道の南端にある。現在は関楼が復元され張飛像が置かれている。また関楼下の右内殿には劉備、関羽、張飛の像が、左内殿には諸葛亮、張翼(梓潼郡太守)、王連(梓潼県令)の像が祀られている。関前には趟脚石があり、張飛の乗っていた馬がここで前脚を滑らせたために張郃が助かったとされる。
探訪後記
瓦口関、ネットで調べていると何カ所かの情報が出てくる。私の中でもどこがどこなのか混乱していて、なかなか訪れるきっかけを得ることができなかった遺跡でもある。今回は梓潼にある瓦口関を訪れることにした。ここはネットでも写真が掲載されているサイトもあり存在するのは確実で、交通もいたって至便な場所にあるので楽々到達できるだろうと思っていた。まずは街中から以前訪れたことのある七曲山大廟を訪れる。でも入場料が高いし、関帝廟もあるのだが別に興味がない。三国志遺跡の紹介された書籍が売っているので、それを買いたいだけだったのだ。入口で「中でこの書籍、売ってる」と聞いてみると「書籍を買いたいだけなの。入って自分で聞いて」と入れてくれた。まぁ、それはそれでよかったのだが。さて、乗ってきたバスに再び乗り、街の方向へ戻る。その途中に水観音景区があるので途中下車。ここは門票も安い。ここに瓦口関があるのだ。とは言っても再建された真新しい関があるだけ。もちろん中国特有の作ったら手入れをしない状態でボロっているけど。あと二ヶ所くらい瓦口関と呼ばれるところがあるんだけど、どこが本物なのかな。他のところはちょっと行きにくそうだし。でもいずれは訪れてみたいもんだ。
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