魏延祠内部、魏延像。ここでは神格化されているようだ。
1996年に再建された魏延祠。
公路脇に立つ、魏延祠を示す石碑。
基本情報
ちょこっと解説
言い伝えでは、建興七年(西暦231年)、第四次北伐時に蜀軍は臥龍山で駐屯する。おりしも炎天の日々が続き、孔明は魏延たちにも涼しい場所を探して移るように命ずる。魏延は数え切れないほどの鳥が群がる山林を見つけ、そこで駐屯することにした。ただ食事を準備しようとするが鳥の糞がひっきりなしに落ちてくるので、林を離れた場所で飯を炊くことにする。しかし、探せど探せど水は見つからない。すると雀の大群が魏延たちの上を横切り、驚いた兵士たちは追い払おうとする。魏延も雀の大群を見ていたが、その中に白雀が一匹いることに気づいた。その白雀に呼ばれるように魏延はついて行き、岩場までたどり着く。岩の割れ目に消えていった白雀を不思議に思った魏延は、岩を押してみる。すると岩はガラガラと崩れて水が湧き出した。そこには地下水が流れていたのである。こうして水不足の問題は解決し、当地の農民たちも喜んだ。その後、そこは魏延河と呼ばれるようになり、傍らには魏延祠が建てられた。後に官府の命令で取り壊されたとされる。現在の魏延祠は1995年頃に再建されたもの。
探訪後記
掲示板で開封太郎さんから情報を貰った。以前、臥龍鎮を訪れたときに孔明泉で周辺遺跡地図を見ていた。そこにも確か魏延祠が記載されていたと思ったのだが、「どうせないだろう」と軽く考えて探すことをしなかった。その後、臥龍鎮を訪れた開封太郎さんが魏延祠も訪れ、その情報を掲示板に書いてくれたのだ。それから機会があれば行ってみようと思いつつも、なかなか行くことができなかった。四川大地震もあったことだし、魏延祠もぶっつぶれていないか心配だった。
2009年になって、やっと訪れる機会ができた。梓潼では、以前泊まったことのある宿に入る。約4年ぶりだがあまり変わってないな。まずは臥龍山へ向かう。魏延祠がないか気にしながら車窓から外を見つめる。開封太郎さんの情報では公路沿いに石碑があるとのこと。「あ、あったあれだ」と発見。しかし、そこでは下車せずに先へ進む。孔明泉などを再び見て回ったあと、孔明廟を探してみるが見つからず撃沈。そして梓潼へ戻る途中に魏延祠を訪れた。建て直されたものだろうが、けっこう立派な祠だ。しかし門には「用事があれば連絡して」と張り紙がされていた。中を見るには連絡をしなければならないのか。面倒だな。見渡しても周りには人影もないし。中を覗いてみると魏延像がある。でも物置になりかけっぽいぞ。三国演義では悪役として扱われてしまった魏延、それでもこんな山奥に祠が残っているなんて。
2009年になって、やっと訪れる機会ができた。梓潼では、以前泊まったことのある宿に入る。約4年ぶりだがあまり変わってないな。まずは臥龍山へ向かう。魏延祠がないか気にしながら車窓から外を見つめる。開封太郎さんの情報では公路沿いに石碑があるとのこと。「あ、あったあれだ」と発見。しかし、そこでは下車せずに先へ進む。孔明泉などを再び見て回ったあと、孔明廟を探してみるが見つからず撃沈。そして梓潼へ戻る途中に魏延祠を訪れた。建て直されたものだろうが、けっこう立派な祠だ。しかし門には「用事があれば連絡して」と張り紙がされていた。中を見るには連絡をしなければならないのか。面倒だな。見渡しても周りには人影もないし。中を覗いてみると魏延像がある。でも物置になりかけっぽいぞ。三国演義では悪役として扱われてしまった魏延、それでもこんな山奥に祠が残っているなんて。
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