孔明の南征時に使われた点将台。このあたりで烏蛮軍と戦ったとされる。
諸葛亮点将台の遠景。小高く丘のようになった場所である。
文物碑:1993年10月公布 雷波県文物保護単位「諸葛亮点将台遺址」
基本情報
【訪問時期】2010年2月18日
【関連人物】諸葛亮
【文物保護】1993年10月公布 雷波県文物保護単位「諸葛亮点将台遺址」
ちょこっと解説
 建興三年(西暦225年)、南征を開始した蜀軍は至僰道(現在の宜賓)を過ぎた後、軍を三路に分ける。諸葛亮が率いる主力の西路軍は、馬湖江(現在の金沙江上流)を遡り進軍。このあたりでは孟獲が率いる烏蛮軍の狙撃なども受けている。諸葛亮点将台は、当時諸葛亮が指揮して築かれたとされ、周囲は参天の大木が立ち並び、兵士の演習訓練を行うよい場所となった。
  諸葛亮点将台は、文化大革命時期に破壊され、石碑や石像なども全てが壊された。1993年、雷波県政府によって立てられた「諸葛亮点将台遺址」の石碑がある。
探訪後記
 ネットでいろいろ調べているうちに、雷波にも諸葛亮点将台があることがわかった。雷波には以前にも訪れているのだが、そのときには知らなかった。雷波は四川の山中、バスで移動するにもかなり時間がかかる。それでも5年前に比べると道路もかなり改良されているようだ。宜賓の方からはかなり移動時間が短縮されている。
 西昌からバスに乗って9時間、雷波に到着。気温がぐっと下がった感じだ。宿をとって明日に備える。夜が明けると雪が降っていた。時間もないので車でぐるっと馬湖までを一周するようなルートを考えたのだが、途中にある峠が積雪で通られないとか。普通のタクシー運転手は行きたがらない。すると宿のオーナーが車を手配してくれた。とにかく雪が少ない方を先に行って、あとはそのときに考えるということにした。馬湖で海龍寺孟獲殿を見たあと、地元民に聞いてみると諸葛亮点将台はそんなに遠くないという。車で進むとすぐ近くまで行くことができた。それでも泥だらけの道だったので徒歩だったら大変だっただろう。諸葛亮点将台は廃墟になった監獄の裏手にあった。政府が立てた石碑もあってなかなかいい感じ。それでもこのためにこんな場所にまで来るのは、かなりの物好きじゃないと。
関連遺址
諸葛亮点将台
諸葛亮点将台

[ 礼县 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】四川省雷波県
【 タグ 】諸葛亮
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2020年4月29日 20:13
【更新日時】2020年4月29日 20:46
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