羅江県にある張任墓前面。
張将軍墓と呼ばれている。
墓前にある張任を紹介する石碑。
文物碑: 1997年3月4日公布 羅江県文物保護単位「潺亭廟遺址及張任祠(含張任墓址)」
基本情報
ちょこっと解説
張任、益州蜀郡(現在の四川省)の人。劉璋の配下で益州従事を務め、忠義に篤く勇猛。漢建安十九年(西暦209年)、蜀に侵攻した劉備を涪県(現在の四川省綿陽市)で迎撃するが敗退、雒県(現在の四川省広漢市雒城鎮)で再度迎撃を試みるが、雁橋に出撃して敗れ、劉備軍に捕らえられる。劉備は張任の忠勇を惜しみ、降服して配下になることを求めるが、張任は「老臣は二主に仕えず。」と拒否、ついには斬首となった。
張任墓、斬首された張任の亡骸は、金雁橋の傍らに埋葬された。広漢市と羅江県において、金雁橋の位置の論議が続いている。羅江県では張任が劉備配下の黄忠と金雁橋で戦ったとされており、金雁橋の傍らにある雲蓋山に、清乾隆年間の県令周冕によって張任墓および張任祠が造られた。
張任墓、斬首された張任の亡骸は、金雁橋の傍らに埋葬された。広漢市と羅江県において、金雁橋の位置の論議が続いている。羅江県では張任が劉備配下の黄忠と金雁橋で戦ったとされており、金雁橋の傍らにある雲蓋山に、清乾隆年間の県令周冕によって張任墓および張任祠が造られた。
探訪後記
中国ネットで検索していると、羅江で張任がひっかかった。さらに百度で画像検索すると文物碑の画像を発見。それには張任祠と張任墓址と刻まれているではないか。でも肝心の祠とか墓の画像はなかった。まあ、いちおう文物碑だけでも見ておくかと思い、訪れることにした。成都から列車で羅江へ。そして雲蓋山に到着。公園っぽくなっているのかと思っていたのだが、どうやら造成中に放棄されてしまったようだ。いちおう中に入ってみる。門番でオバチャンがいたので、「ちょっと中に入るよ。張任墓ってあるの。」とか聞いてみたが、知らないようだった。とにかく小高い山の上へ登っていく。途中、小さな寺っぽい建物とかがある。あれ、なんだ、これは墓なのか。建物の裏手に石積みされた墓っぽいものが見えた。その傍らには張将軍墓と刻まれた石も。おお、張任墓が再生復活しているではないか。文物碑だけかと思っていたのだが、これは意外なヒットだ。張任祠はないようだ。そして文物碑を探してグルグルと回るのだが見つからない。おかしいな、ネットでは写真があったのだから、あるはずなんだけど。もう一度写真を見る。後ろの建物は入口近くの城門のようだな。門番のオバチャンに聞いてみると、「石碑は知らないけど、城門は一度外にでてまわって行くのよ。」と教えてくれた。さてさて、文物碑も発見。これで張任祠があれば完璧だったんだけどな。まあ、なかなかおいしい場所だった。
関連遺址
張任墓
[ 广汉 ]
位置情報
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