当時の金雁橋は、この場所にあったとされる。
「金雁橋黄忠戦張任」の像。残念ながら槍が折れている。
左が黄忠、右が張任の像。
ちょこっと解説
金雁橋遺址、益州に侵攻した劉備軍を迎え撃つ張任、涪城で敗れた後、雒城に籠城し、抗戦を続ける。建安十八年(西暦213年)、金雁橋に出撃したが、再び劉備軍に捕らえられてしまう。劉備から配下に就くよう勧められるが拒否、打ち首となって金雁橋の傍らに埋葬されたとされる。一説では現在の羅江が雒城だったとされ、凱江にかかる橋が金雁橋遺址だと言われている。三国演義では金雁橋で張任と戦ったのは張飛とされているが、ここの言い伝えでは張飛ではなく黄忠と戦ったとされている。
探訪後記
中国ネットで検索していると、張任と黄忠の戦う像の画像があった。さらに調べていくと羅江にあるとわかる。どうやら雒城の位置を巡っても意見の対立があるようだ。羅江汽車站からしばらく歩くと、すぐに到着。新しい金雁橋の隣にちょっと古い橋も残っていた。まさか漢代の橋が残っているわけでもないのだが、雰囲気はある。そして東側の雲蓋山の麓には、張任と黄忠の像があった。どちらとも槍の部分は折れているし、照明灯はパクられてしまっている。なかなかできのよい像なのに、この扱いは酷いな。張任と戦う相手がどうして張飛ではないのかはっきりとはわからないが、この地では黄忠と戦ったとされているらしい。まあ、雒城の位置を巡って広漢市と争っているようなので、ある程度見栄えのよいものを作ってしまおうとしたんだろうな。こっちが本物戦争はいったいいくつあるんだろう。
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