村の入口「漢陽遷亭侯雲南太守呂季平先生故里」と刻まれた石柱。
点将台だったと言われる台地。上部には将台寺が建つ。
将台寺は、もともと武侯祠だったとされる。点将台下の案内文。
再建が進む将台寺。内部にはどのような像が置かれるのだろう。
呂公祠があった付近。挿戟石の前にも案内文があった。
挿戟石に刺された戟。呂凱が戟を挿したとされる穴が残る。
基本情報
【訪問時期】2008年9月23日
【関連人物】呂凱
【文物保護】
ちょこっと解説
 呂凱、字は季平。益州永昌郡不韋県(現在の雲南省保山市隆陽区金鶏郷)の人。呂不韋の後裔と言われている。蜀の永昌郡五官掾功曹を任じる。蜀章武三年(西暦223年)に建寧太守雍闓が離反し、呉に投降すると、呉は雍闓を永昌太守とする。呂凱は境を封じて雍闓に抵抗。蜀建興三年(西暦225年)に諸葛亮が南征を開始、呂凱はその功により雲南太守を命じられ、陽遷亭侯に封ぜられる。しかし、間もなく蛮民により殺害される。
 現在村には、呂凱点将台が残る。台上には呂凱が馬を繋いだとされる樹木が残り、将台寺が建てられている。将台寺は、その以前武侯祠だったとも言われている。村の東部には、呂公祠があった。その傍らには呂凱が戟を挿したとされる挿戟石が残る。村の西南には呂凱墓もあったとされるが、現在は確認できない。
探訪後記
 呂凱故里碑と点将台は、わかりやすい場所にある。点将台で人民おっちゃん達が屯していた。話しかけられたので、いろいろ聞いてみる。挿戟石は少し離れた場所にあるらしい。呂凱墓のことは知らなかった。ちなみに点将台の上には寺院を建設中だったが、特に呂凱とも関係なさそうだ。どうせなら武侯祠を再建してくれればよかったのに。このご時世、孔明より仏様なんだろうかね。さて、挿戟石を探しに行く。温泉の湧いている近くらしいので聞き込みをするが、温泉はたくさんあるらしく場所が特定できない。「大きな石があるところ」と付け足してみると、「あゝ、じゃああっちの方だよ」とわかる人民が多かった。ちょっと村の中へ入ったところで挿戟石を発見。温泉のおばちゃんがいろいろ教えてくれた。近くには呂公祠もあったらしいが、今はもうないらしい。お次は呂凱墓を探してみる。小板橋というところにあるらしいのだが、金鶏村からはちょっと離れている。道を聞きながら進み、小板橋に到着するも、呂凱墓のことを知っている人民は一人もいなかった。ネットに載っていた情報では地名も間違いないと思うのだが。すでに消滅してしまっているのかな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】雲南省保山市
【 タグ 】呂凱
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年3月3日 17:21
【更新日時】2019年1月12日 21:29
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