関索廟の大殿だったと思われる建物。内部に関索像はない。
建物自体は廟を思わせるような造り。関羽の絵が描かれている。
関索を示すものは、この碑と廟に通じる関索廟路の名前だけ。
関聖殿には親父の方が祭られていた。
基本情報
【訪問時期】2019年1月4日
【関連人物】関索
【文物保護】
ちょこっと解説
 孔明の南征で孟獲が恭順を示すと、戦乱は収まりを見せる。孔明は成都にいた関索に命じ、作物のよい種を運ばせてきた。このとき孔明はまだこの地で兵営を張っていた。関索が到着すると、孔明は関索に「この地に残り、民のため発展に尽力してくれないか」と問う。関索はそれを受けて、この地に残ることとなった。そして孔明は関索に一冊の薬書を渡す。まだ疫病が多い土地柄だが、残った関索は民とともに開拓を続け、孔明に渡された薬書をもとに病の治療も行う。ある日、関索は自らが崖から落ち、気がつけば手足が断裂していた。しかしその傷をも自らが治療し、回復を遂げると、関索は民から神医と崇められるようになった。そして後に民たちが関索を記念し、廟を建て関索を祭ったとされる。
 もとは関索廟であったが、現在は観松寺として再建されている。
探訪後記
 玉渓と言えば、以前は武侯祠もあった街。ネットで調べていると関索廟もあるとのことで訪れてみた。関索は架空の人物とされるのだが、雲南近辺では関索廟もいくつかあるようだ。ここ玉渓では関索廟路と名付けられた道路まであり、それなら存在するんだろうと期待していた。しかし実際に訪れてみると、関索廟ではなく観松寺となっていた。関索と観松は発音が似ていることから、こういう寺の名前になったらしい。境内には廟らしき建物があるのだが、関索像は祭られていなかった。せっかくだから関索像くらいはあってもいいと思うのだが。ただ関聖殿はあり親父の方はちゃんと祭られているという。やはり現代の中国らしいなあ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】雲南省玉渓市
【 タグ 】関索
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2019年3月30日 20:40
【更新日時】2019年4月26日 07:41